2017年3月31日金曜日

練習巡洋艦鹿島 1945年時を製作

アオシマの練習巡洋艦、鹿島です。



アオシマの香取型練習巡洋艦は、昔の旧キットというと、スクラッチの芯としてしか使えないぐらいの地雷キットでしたが、リニューアルされた新キットは組み立てやすく細部も精密に再現された良キットに進化しています(^^)



鹿島は香取型の練習巡洋艦の2番艦として建造されました。建造単価を下げるために商船構造で建造されましたが、6000tの排水量の割にも堂々と見える艦型に作られています。
機関は実習に使用されることもあり、タービンとディ―ゼルの併用とされましたが、両方合わせても8000馬力しか無く、速力は18ノットに留まっています。しかし、機関が大きくない事もあり、建造費用は陽炎型駆逐艦1隻よりも安かったようです。水雷戦隊を揃えるのってお金がかかるんですね(^^;)

武装は14㎝連装砲を前後に1基ずつ、後部に89式連装高角砲を1基、煙突両舷に53㎝連装魚雷発射管を1基ずつ、25㎜連装機銃を2基、カタパルトを1基と水上偵察機を1機、儀礼用に5㎝礼砲を4門と爆雷投下台を4基と、教練用に各種装備が搭載されていました。

アオシマからは開戦時の香取、大戦後半に対潜対空装備を増強した鹿島、昭和17年に重巡に似せるためにダミー煙突を装備した香椎と3隻それぞれ特徴的な状態で発売されています。



大戦後半に生き残っていた鹿島と香椎は対潜掃討任務に就くため、魚雷発射管を下して代わりに高角砲を増設、後部甲板には爆雷投射機と投下軌道を装備しました。爆雷投射機は鹿島が4基、香椎が8基装備しており、艦尾艦内にあった実習用講堂は爆雷庫に改造されています。
その他、電探と機銃も増強されています。




鹿島として製作しましたが、見栄えの好みで香椎と同様の爆雷投射機8基としてみました。





このキットはとても組みやすく、マストを作り替えたのと、大型のループアンテナとクレーンワイヤーを真鍮線で組んで、カタパルトをエッチングと交換、爆雷投射機をピットロードのパーツを改造して設置したぐらいで、他はキットストレートで組み立てています。




鹿島は開戦時は第四艦隊の旗艦として、緒戦のグアム、ウエーキ、ギルバード、ラバウル、ソロモンなどの各攻略作戦の指揮を執り、大戦中盤は旗艦任務や輸送作戦に従事しています。
大戦後半には対潜対空装備の増強を図られ、護衛任務に就く第102戦隊の旗艦となり、屋代、御蔵、2号、33号、34号、35号ら6隻の海防艦を率いました。
僚艦の香取はトラック空襲時に空襲と米艦の砲撃で撃沈され、香椎も昭和20年に仏印沖で米機動部隊艦載機の攻撃で撃沈されてしまいましたが、鹿島は生き残り戦後の復員輸送で多くの日本人を内地へ運ぶ活躍をし、その後解体されました。

鹿島は海上自衛隊にも艦名が引き継がれ、練習艦「かしま」として現在も活躍しています。





青島文化教材社 1/700 ウォーターラインシリーズ 日本海軍 軽巡洋艦 鹿島 プラモデル 355




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2017年3月24日金曜日

HG  旧キット 08小隊陸戦型ジムを製作

HGの旧キットの陸戦型ジムが新キットの発売に合わせて再販されましたので、20年ぶりに陸ジムを作ってみました。



当初は付属武器のミサイルランチャー目当てに買ってみましたが、プロポーションは新キットよりこちらの旧キットの方がいい感じです。

製作は古いキットですので合わせ目消しや部分塗装は必須ですが完成してみるとなかなかカッコ良いです(*'ω'*)



横から。陸ジムといえば、第8小隊に因縁を吹っかけてくる第7小隊が有名(?)ですね。最終話では彼らは残念ながら・・
シールドの上部の取っ手はグレーで塗装しています。



後ろから。陸ガンと比べてスマートな印象です。



上半身もある程度回転できます。HGながら、初期のHGUC並みの可動範囲はあります。



足回りも膝関節は可動域はありますが、足首が一体パーツですので立膝はちょっと無理があります。



メインカメラはシール表現です。サブカメラは前後ともシルバーを下地にクリヤーグリーンで塗装しています。
胸のダクトはグレーで塗装しています。



足首パーツは一体成型ですので、かかともグレーで塗装しています。



スネのスパイク。こちらも部分塗装必須ですが、新キットと比べて力強い印象です。



ロケットランチャーはトリガー部分が稼働しないので肩に担ぐことができないです。
でも、あんまり意味ないけど肩当はちょっぴり前後にスライドすることができます。



ミサイルランチャーはトリガーが稼働するので肩に担ぐ事が可能です。
この武装はこのHGの陸ジムとジムスナイパーにだけ付属している武装です。
陸戦型ガンダムに流用も良さそうです。



ビームサーベルは柄の部分もクリヤー部品一体です。




同シリーズのジムスナイパーと。
同じ機体でも機体色が違うとずいぶん別物に見えますね。



新キットと比較。
子供たちにどっちがかっこいいか聞いてみると、
長女は新キットの色が良いと言って、息子は旧キットが良いと言ってました。
僕も好み的には旧キットの方が気に入っています(^^)/



プロポーションがこのままで、可動範囲等を良くリニューアルしてくれていたら嬉しかったんですが。






→HG  旧キット08小隊 ジムスナイパーの製作

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2017年3月23日木曜日

旧キット 1/1200 連邦軍巡洋艦サラミス キットレビュー&素組

旧キットの地球連邦軍宇宙巡洋艦サラミスです。

旧キットのサラミスは1/1200のスケールで、同スケールにマゼランやムサイなどの艦船もあります。



キットはランナー3枚構成です。船体は左右張り合わせとなっています。



ボックスアート。ルナツーを出撃する連邦軍部隊といったところでしょうか。周囲にジムとボール、遠方に戦艦マゼランがいます。艦尾が赤いのでレビル将軍坐上の旗艦フェーべでしょうかね。



主砲は砲塔と基部に分かれており、回転できるギミックになっています。



基部に砲塔を差し込んで、船体を左右貼り合わせたら、後で主砲が回転するようですが、塗装の時に邪魔になりそうなので、基部だけ挟み込んで、船体塗装後に砲塔を差し込んでも充分保持できそうです。




長い船体を張り合わせる時、左右にずれやすいので、慎重に固定しながら接着した方がよさそうです。



船体の基本部分を組だけなら、さっと出来上がります。



艦の下部に装着できる大気圏突入カプセル。なんだかウルトラマンに出てきそうです。



おまけに同スケールのジムが3体ついています。手足を切り離して動きをつけてあげても良さそうです。腰の部分が海パン履いているみたいです(笑)




ボールも3体ついています。金型の都合なのか、アームは一体の板になっているので、切り離して細く整形したらいい見栄えになりそうです。



武装などの小部品をつけてみました。
良いスタイルで劇中のサラミスの雰囲気を再現しています。



シンプルなので、細かいディティ―ルを加えて情報量を増やすと良さそうです。



武装が、ちょっとオーバースケールで野暮ったいので、それらを別部品に交換するだけで見違えそうです。


艦船模型の武装パーツなどと交換して製作していきたいと思います。


→旧キット 地球連邦軍 宇宙巡洋艦 サラミスの製作

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2017年3月19日日曜日

重巡洋艦 熊野 1944年時を製作 タミヤ改造

重巡洋艦熊野の1944年時です。



このキットは5年ほど前に製作したものです。
タミヤの熊野は15.5センチ3連装砲を装備した軽巡洋艦時代のキットで、姉妹艦の鈴谷も開戦前の状態でのキットです。
大戦後半の状態ではどちらもキット化されていないので、一部航空巡洋艦最上のパーツを流用しながら製作しています。



主砲の20㎝連装砲やシールド付き12.7㎝高角砲はピットロードの武装パーツを使用しています。
重巡高雄型用に開発されたパーツ類ですので重巡洋艦用の各種偽装品がセットされています。



軽巡時代の熊野から大戦後半の熊野への改造点は、

・主砲を15.5㎝砲から20㎝砲に交換。
・艦橋トップに防空指揮所と遮風装置を増設。
・前マストに21号電探と22号電探を装備し、電探室を増設、ループアンテナの移設。
・艦橋前の機銃座を3連装機銃2基に改修。
・後マストに13号電探と基部に機銃座を増設。
・艦橋下と艦尾に機銃座を設置。甲板に単装機銃を設置。

などを施しました。



フジミの重巡洋艦と比べるとあっさりとした感じですが、組み立てはカッチリと合いやすく作りやすいキットです。
フジミさんも、航空巡洋艦の最上はキット化しましたが、この熊野と鈴谷はなかなか出してくれませんね。大戦後半仕様で出すとけっこう需要はあると思うのですが(^^)
利根と筑摩と第七戦隊も組ませてみたいですね~



熊野は最上型軽巡洋艦の4番艦として建造されました。最上と三隈が排水量を抑えて建造され、船体強度などに無理が生じたので、改設計され鈴谷とともに鈴谷型とも呼ばれます。ボイラーも最上の10基から新式のボイラーに変更され8基とコンパクトになり吸気口なども改正されています。

最上型は揃って第七戦隊を編成し、その中でも一番新しい熊野は旗艦を務めることになります。
4艦は軍縮条約脱退後、揃って主砲を20㎝砲に換装し重巡洋艦として生まれ変わりました。
開戦時は第七戦隊は栗田少将の指揮の元、南方作戦に進出、バタビア沖海戦でも消極的な指揮で、第二小隊の最上と三隈のみが敵と戦っています。続いてベンガル湾の通商破壊作戦に参加し、多数の敵商船を撃沈しています。

ミッドウェー海戦では主力4空母が沈没後、ミッドウェー島の砲撃を命じられますが、突然の敵潜水艦発見の報で回避運動をとると、最上と三隈が衝突してしまい、最上は艦首を損傷して速力が低下してしまいます。すると栗田少将は三隈と朝潮、荒潮に援護を任せ、自身は熊野と鈴谷を率いて退避してしまいます。その後残された最上たちは米軍機の追撃を受け、三隈が沈没、最上と朝潮、荒潮は損傷を受けてしまいました。

三隈が沈没し、最上が大破し、航空巡洋艦へ改装される事になり第七戦隊は熊野と鈴谷の2隻だけとなります。第七戦隊の司令官は西村祥治少将に代わり、インド洋での通商破壊作戦に加わるべくメルギーに進出しましたが米軍のガダルカナル上陸を受けて、作戦は中止、空母部隊の第三艦隊に加わり、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦などに参加しています。

ガダルカナル撤退後もソロモンでの戦いは続き、コロンバンガラ島への輸送作戦に参加中、米軍機の雷撃を受け損傷しています。修理後はカビエンへの輸送任務に就いています。

昭和19年になると、第八戦隊の利根と筑摩が第七戦隊に編入され久しぶりの4隻編成となりました。司令官も白石少将が着任し、この編成でマリマナ沖海戦にも参加します。

レイテ沖海戦には第二部隊として金剛、榛名らとレイテ目指して進撃します。シブヤン海の空襲では被害は軽微でしたが、サマール沖で米護衛空母部隊と遭遇し追撃戦に入っている中、護衛空母機や駆逐艦の決死の反撃を受け、熊野は駆逐艦の雷撃により艦首失い単艦で退避し途中艦載機の攻撃を受けつつもコロン湾経由でマニラまでたどり着きました。

11月5日、同じように米潜の雷撃により損傷し速力の出せない青葉と商船5隻は海防艦と駆潜艇に護衛されて台湾の高雄を目指し出港しましたが、米潜のウルフパックにつかまり必死の回避運動をするも、魚雷2本が命中し、航行不能になり、2D型貨物船の道了丸に曳航してもらいなんとかサンタクルーズ港に到着しました。ここで応急修理と機関用の真水の補給を川からドラム缶で運ぶなど、本土への帰還を目指して懸命の作業が続けられましたが、11月25日、ついに米艦載機の空襲を受け魚雷5本、爆弾4発を受け、沈没してしまいました。




タミヤ 1/700 ウォーターラインシリーズ No.344 日本海軍 軽巡洋艦 熊野 プラモデル 31344



→ハセガワ 重巡洋艦 青葉 製作

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2017年3月17日金曜日

給糧艦 伊良湖 最終時の製作 ピットロード

ピットロードの給糧艦、伊良湖です。



給糧艦は艦隊将兵への食糧や嗜好品を補給するための船です。艦隊生活では食事が唯一の娯楽と言っていい程ですので、給糧艦が入港してくると将兵の士気が大いに上がったようです。
新鮮な食料の他に、饅頭や羊羹などの甘味品、パンや豆腐、こんにゃくなどの加工品を製造する能力もあり、入浴施設や洗濯施設も備えていました。

永らく大正時代に建造された間宮が唯一の給糧艦でしたが、③計画で新たに伊良湖が建造される事になりました。伊良湖は25000人の将兵へ2週間分の食料を補給できる有力な設備を持っていました。伊良湖は開戦直前の昭和16年12月5日に竣工し、さっそくトラック諸島への補給任務に就きます。
その後は何度も本土とトラック間の補給任務に従事しました。昭和19年1月20日に米潜シードラゴンの雷撃を受けてしまいます。伊良湖は何とか沈没を免れ内地で修理を受けます。この時の艦首を深く沈めた写真がありますが、よくこの状態で沈没しなかったものです。
修理完了後、マニラへの輸送作戦につきますが、マニラも米機動部隊の空襲を受け、他の艦艇とコロン湾へ退避しますが、ここも9月24日空襲を受け、秋津洲とともに湾内で撃沈されてしまいました。



製作したのはピットロード製のキットです。就役時は艦橋両舷に25ミリ連装機銃を装備しており、マリアナ沖海戦後に中央構造物後端両舷と後部高角砲前に25ミリ3連装機銃を3基増備しています。
キットは就役時を購入して、そこには中央構造物後端両舷の機銃のみ装備とかかれていますが、正しくは艦橋両舷です。

伊良湖のキットはなかなかの曲者で、調べてみるとちょっと修正点が多すぎてきちんと作ろうとしたら甲板を作り替えなどになってしまいます(;^_^A
そこまでするのは大変ですので、キットそのままで製作しています。

主な修正点は
・艦首平面形が細すぎのようです。実際は他の貨物船のような形状です。
・艦尾は逆に太すぎで、こちらも貨物船のような形状です。
・煙突がキットでは小判型ですが楕円形のようです。
・クレーンの形状も違うようです。
・艦橋の高さも少し低いようです。
・甲板が全部木甲板張りですが、艦首艦尾が一部鉄板張りのようです。

などがあるようで、とても私の腕では修正できないので、スルーして製作しています。
このままでも、ぱっと見、伊良湖ですので(*'ω'*)
よそのブログでとても詳しく解説されている方がいらっしゃいまして、その方のブログが大いに勉強になります(^^)



煙突は燃料対策により石炭炊きになっており、背の高い煙突です。煙突前には高い無線アンテナを装備しているのが特徴です。



甲板には特徴的には2トンジブクレーンや12m糧食配給艇などが搭載されています。
前後の砲座には12センチの連装高角砲が装備されています。この連装高角砲の盾付きは珍しく、他には測量艦筑紫や砲艦橋立型、満州国の砲艦順天型など、装備例は限られています。



艦首はちょっと細すぎです。




逆に艦尾はぽってりと。



でも、そのまま作るのだと、組み立てやすいので、特徴的な姿をコレクションに加える事ができます。

最近、艦これ関連の補助艦艇を精力的に開発しているアオシマさんがそのうち新製品を出すかもしれませんね・・・秋津洲や明石もピットロードさんと被っているので。

その時には改⑤計画で建造計画がされていた、「久須見」という艦にするのも良いかもですね(^^)




ピットロード 1/700 スカイウェーブシリーズ 日本海軍 給糧艦 伊良湖 最終時 プラモデル W186




こちらの記事もどうぞ。

→駆逐艦 浦波 1944年時 製作 ヤマシタホビー+ピットロード

→戦艦日向 戦艦状態IF改装1944年 フジミ+ハセガワで製作

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