迅鯨型潜水母艦は大正時代に建造された潜水艦への指揮、補給、乗員の休養などを任務とした艦です。迅鯨と長鯨の2隻が建造され、呂号潜水艦9隻への補給、整備能力がありました。
船体は商船構造で、速力は16ノットの低速でした。
主砲は自衛用に14㎝連装砲を2基、4門を装備しています。
開戦時には老朽化しており、大型の伊号潜水艦への旗艦任務は徴用された大型貨客船のと特設潜水母艦に任せ、本型は呂号潜水艦などへの旗艦任務にあたりました。
長鯨は開戦時は南方作戦に従事、大戦中盤はラバウルまで進出し、潜水艦部隊の指揮をとりました。昭和19年には迅鯨や軽巡長良などと南西方面へ輸送作戦に従事、この作戦で、迅鯨や護衛艦艇多数が撃沈されてしまいますが、沖縄や南西諸島に物資を送り届け、復路は婦女子を本土へ疎開させ、多くの方の命を救うことに貢献できました。
長鯨は終戦間際、京都の丹後で空襲により中破し、死傷者多数がでるも、沈まずに終戦を迎えられ戦後復員輸送に活躍し、その後解体されました。
ピットロードからは長鯨と迅鯨の両方がリリースされています。
船体は左右貼り合わせで多少合わせの調整はいりますが、カチッとコンパクトな迅鯨型潜水母艦が再現できます。
製作したのは、1944年後半の南西諸島への輸送作戦時を製作しした。
学研の「真実の艦艇史2」に長鯨、迅鯨の武装の変遷が書かれています。
学研の睦月の本を見ていると、長鯨型の記事も載っており、そこに面白そうな証言が書かれていました。元乗員の方の証言で、上甲板や航空機作業甲板はリノリウム貼りと書かれており、従来の説では鉄板貼り、模型の作例も鉄板表現でしたので、一度、リノリウム表現で作ってみようと思いました。
リノリウム甲板のマスキングする分手間は増えましたが(笑)戦闘艦艇には無い魅力的なスタイルの艦が再現できました。
21号電探を前マストに、艦橋前に25ミリ連装機銃、全体に単装機銃を増備しています。
艦橋の左右には13㎜連装機銃を装備しています。
船体中央の8㎝高角砲は開戦時に25㎜連装機銃に換装されたとされている本も多いですが、最終時まで8㎝高角砲のままだったようです。
商船と軍艦の中間のような艦型です。
地味ながら味のある艦容です。昭和17年にダバオで撮影された、艦首波と重巡の魚雷発射管に似せたペイントの迷彩を再現するのも面白いかも。
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