日振型海防艦1番艦の日振です。
日振型海防艦は御蔵型海防艦を簡易型船体で建造された戦時量産型護衛艦です。
北洋警備艦として建造された占守型海防艦の大きな航続距離を一部簡略化して建造されたのが択捉型海防艦でした。しかし、武装が平射砲なので、高角砲化された御蔵型が建造されました。その御蔵型の船体をさらに簡略したのが日振型・鵜来型海防艦です。
鵜来型海防艦は新兵器の三式爆雷投射機を16基も装備していましたが、日振型は御蔵型と同じく94式爆雷投射機を3基と爆雷投下軌道を2条、艦尾に掃海具を装備しています。
1944年の6月に竣工した日振をはじめ、大東、昭南、久米、生名、崎戸、目斗、四阪、1945年4月最終艦の波太の9隻が日立造船桜島造船所で建造されました。
キットはピットロードのを製作しています。
商品名は、海防艦鵜来型(大掃海具装備型)でリリースされています。
キットは2隻セットで本体のランナー2枚と武装パーツのランナーが1枚入っています。
説明書どおり作ると、簡単に組みあがります。
しかし、そのままでは日振自体は作れません。
キットでは3連装機銃が5基装備した状態ですが、海防艦の1944年上半期竣工艦はまだ、そこまで機銃が増設されていませんでした。
6月竣工の日振もそうで、竣工時は艦橋横の3連装機銃を2基装備のみ、電探も前マストの22号のみ、艦橋前の単装機銃と対潜迫撃砲も未装備でした。
・日振と昭南はこの状態で竣工しています。
・大東以降の艦は3連装機銃を5基装備して竣工しています。
・艦尾の掃海具は4番艦久米以降は装備されず、のちに昭南と大東も撤去したようで?
・後マストの13号電探は5番艦生名以降から竣工時装備のようです。
・最終艦波太のみ後部連装高角砲にもシールドが装備されていたようです。
このへんは「日本海軍小艦艇ビジュアルガイド2護衛艦艇編」に載っていましたので、他の海防艦の製作にも参考になります。
今回は日振を3連装機銃5基、単装機銃、対潜迫撃砲、13号電探も装備して、掃海具も残したままの状態で日振改?の状態で製作しています。
船体には舷窓が開いていないのでビンパイスで開口しマストをプラ棒で作り直しています。簡易型艦首のナックルラインは再現されていないので、マスキングテープで上半分を保護して下半分をある程度削ってみましたが、あんまり効果が少なかったです(;^_^A
後部甲板は爆雷投下軌道と94式爆雷投射機を装備、フィクションで掃海具を装備したままにしています。
機銃は好みでフジミのを、12センチ連装高角砲は懐かしのピットロード旧武装パーツセット1のをオーバースケールながら力強いので使用しています。
後部高角砲座は木製らしいのでカーキで塗装しています。
前部単装高角砲の砲身はキットではイマイチなので、プラ棒で中退機も加えて再現しています。
日振は竣工後、択捉型海防艦の佐渡、松輪、択捉と対潜掃討隊を編成しヒ71船団の護衛に就きますが、同船団が米潜水艦のウルフパックに襲撃され損害を受けました。
8月22日択捉を除く、掃討隊の3隻は対潜掃討任務に向かいましたが成果なくマニラへ寄港する途中、米潜ハーダーとハッドに捕捉され日振、佐渡、松輪の3隻とも撃沈されてしまいました。
日振達は本来狩るべき敵潜水艦に3隻もいながら返り討ちにあってしまいました。その後の海防艦達の苦闘を暗示している戦いでした。
ピットロードからは占守型、択捉型、御蔵型、鵜来型、日振型、丙型、丁型と海防艦の全タイプがリリースされています。どれも細部にこだわらなければ簡単に組み立てができます。是非机上で護衛艦隊を編成して、果たせなかった船団護衛を完遂させてあげてください(^^)/