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2025年10月12日日曜日

94式軽装甲車後期型完成 ファインモールド1/35

 ファインモールドの日本陸軍94式軽装甲車が完成しました。



94式軽戦車は元々、前線に弾薬を運ぶ牽引車として計画されましたが使い勝手の良い豆戦車として軽装甲車として部隊配備されました。

調達価格の安い94式軽装甲車は歩兵師団に軽装甲車中隊として配備され支那事変では戦車部隊と同じような任務で活躍しました。

その後軽装甲車中隊を母体として戦車連隊に拡充され、日本陸軍の機甲化の基礎となりました。

今回製作した、94式軽装甲車の後期型は後部の誘導輪を大型に改良し、キャタピラの設置面積を増やし安定性を増大させています。武装も6.5㎜の91式車載機銃から7.7㎜の97式車載機銃に強化されています。


94式軽装甲車のキットはファインモールド社から前期型、後期型がリリースされていますが、自分が買った時は在庫切れで同社の歴装ヲトメシリーズのキットから製作しています。

製作自体は車体自体が小さいので簡単に進みます。エッチングパーツがマフラーカバーやフェンダー部分など用に付属しています。

履帯は連結組み立て式で車体が小さいだけに履帯も小さい部品を組み立てていきます。

迷彩はキット指定では4色迷彩でしたが、好みで日本戦車の後期3色迷彩、クレオスの枯草色、土地色、草色で塗装しています。

タミヤの将校セットの戦車将校ニキと比べると車高の低さがわかります。

本車の全高は1.63m、全長も3.36mとかなり小型です。

装甲は前面で12㎜、側面が10㎜と小銃弾でも角度によっては危なそうです。

武装もわずか車載機関銃1挺のみ。

しかし、重量は3.45tと軽量で40㎞の速度は発揮します。

歩兵部隊でも特別な支援設備無しで手軽に運用できる機甲戦力として重宝されました。

後部には大きな扉と牽引装置があります。弾薬の運搬や牽引車の牽引などに活用されます。

本車は843両生産され、歩兵の友として大陸での様々な戦場で活躍しました。

太平洋戦争ではすでに旧式化していましたが、貴重な機甲戦力として戦い抜きました。

レイテの戦いではアメリカの上陸用舟艇への射撃を行った事もあるようです。

米軍の圧倒的な火力を前に撃破された車両も多く、クエゼリン環礁の戦いの跡、撃破された94式装甲車が米軍のM4シャーマン戦車の後ろに載せられている写真も有名です。

おまけ(こっちが本体?)の歴装ヲトメの逸花(いつか)さんもいつか作ってみます。



→1式中戦車の製作 ファインモールド 1/35


→95式小型乗用車 くろがね四起の製作 ファインモールド1/35


→四式中戦車 試作型を三色迷彩で製作。






2025年7月1日火曜日

95式小型乗用車 くろがね四起の製作 ファインモールド1/35

 ファインモールドの95式小型乗用車、くろがね四起が完成しました。

95式小型乗用車「くろがね四起」は日本初の実用四輪駆動車として日本の陸海軍に採用されました。

良好な走破性で多くの地域で活躍しましたが、生産数は5千両に満たなかったようです。

くろがね四起のキットは多くのメーカーからリリースされています。

1/35だと今回製作したファインモールドとピットロードから、1/48だとタミヤとハセガワからリリースされています。1/48だと飛行機模型と合わせられますね。

キットの製作はストレート組みで作っています。








車体はキット指定ではクレオスの陸軍カーキですが、好みでタミヤラッカーのカーキで塗装しています。

タイヤにはタミヤウエザリングマスターを多めに付けてタイヤ感を出してみました。

後部座席の後ろには幌が折りたたまれています。

小型乗用車というだけあって座席もすごく狭いです。いくら戦前の日本人が小柄といっても窮屈そうです。特に後部座席は成人男性が乗るのはキツそうです。

タミヤの将校セットを乗せてみようとしたら無改造ではお尻が入らず切断や削り込んでようやく収まりました。また将校さんの塗装ができたら乗せてみます。

フロントの陸軍の五芒星のエンブレムの塗り分けが地味に失敗しました。

出来上がったくろがね四起はなかなか魅力的なスタイルです。現在の技術で復刻したらけっこう人気が出そうかも。


このくろがね四起は歴装ヲトメのキットのを製作しています。

そのうちこちらも塗装して将校セットとかと合わせてみようかと思います。
















2025年6月19日木曜日

日本陸軍機動艇 SS7号艇 ダイリンモデル1/700

日本 陸軍の機動艇が完成しました。




個人で3Dモデルのキットを販売されているダイリンモデルさんから購入したものです。

なかなか魅力的なラインナップを販売されていて商船や特設艦船が好きな方にはおススメです。



日本陸軍の機動艇とは、砂浜に直接戦車や車両を揚陸させる船です。昭和12年ごろから研究を開始し、太平洋戦争開戦前に試作艇を建造、その後量産されていきます。

外見は民間の海上トラックと同じような形状をしていますが、船首には扉があり、砂浜に乗り上げそこから車両を自走させて揚陸させます。この陸軍機動艇はSS艇と呼ばれ試作艇を含め22隻が建造されました。

試作艇は蛟龍と命名され後に機動1号艇と改称、拡大改良艇は播龍と命名、後に機動2号艇と改称、その後の量産艇は機動〇号艇と命名されています。(3号艇は当初海龍と命名されていました)

大戦末期になると、海軍で建造されているより簡易な2等輸送艦を陸軍も資材を提供して建造し、陸軍からはSB艇とよばれ22隻が移管されました。


キットは量産SS艇の3号艇以降がモデル化されています。

3Dプリンター製のキットは半完成しており、艦底を台から切り出すのは大変ですがそれ以降の組み立ては容易です。


船首は2等輸送艦と違い観音開きに開いて渡し板を出すようです。

当初は機動艇15隻と陸上部隊にて上陸専門部隊の海上機動旅団を編成する計画でしたが実現せず、機動艇1隻とその乗員で機動輸送中隊を編成する事となり終戦までに30個中隊が編成されました。


今回は22隻建造されたSS艇の中で機動輸送第5中隊に配属され、大戦末期の苛烈なフィリピン戦線を生き抜き戦後の復興期にも貨物船として活躍したSS7号艇として製作しています。


SS7号艇は完成後第5中隊に配属され、1944年3月マニラへと進出しました。イ号高速艇を曳航輸送したり、舟艇基地建設輸送や部隊輸送などに活躍します。

1944年10月、いよいよ敵がレイテに上陸し、機動輸送隊もレイテ方面への輸送に駆り出されます。SS7号艇はサマール島への輸送作戦の帰路座礁してしまいますが、敵制空権下にあっても無事に帰投できました。

レイテ島オルモックへの多号輸送作戦第七次作戦の第六梯団にSS6号艇とSS9号艇と参加します。
6号艇と9号艇は被弾炎上し擱座損失してしまいますが7号艇は無傷で揚陸に成功し無事マニラに帰投しています。


米軍のルソン島への上陸が近づき、7号艇は12号艇と脱出し台湾へ無事移動、台湾方面での輸送作戦に従事しその後内地へ無事に帰りつきました。

内地へ帰れた後も国内の輸送に活躍し、終戦を迎えられました。戦後は鏑木汽船に引き取られ長崎丸として運用、その後琉球海運に移籍し、三島丸と改名され1964年に引退し解体されています。







2025年5月30日金曜日

1式中戦車の製作 ファインモールド 1/35

 ファインモールドの1式中戦車が完成しました。

ファインモールドの1式中戦車は同社の日本軍車両の中でも初期のころにリリースされたので、隙間やモールドが若干甘いなどがありますが、組み立ては容易で1式中戦車の勇姿が再現できます。当初はゴム製ベルトの履帯でしたが、プラ製の連結式履帯にリニューアルされています。


組み立てはキットストレートでクレオスの枯草色、草色、土地色の後期迷彩色で塗装しています。全体にウオッシングと足回りにタミヤのテクスチャーペイントで泥汚れを、全体にウエザリングマスターで土ホコリ汚れをしています。


この1式中戦車チヘは、前モデルの97式中戦車チハと後の改良型の3式中戦車の陰に隠れて知名度は薄い車両です。

詳しくない人からしたら、1式中戦車と同じ47㎜砲装備の新砲塔97式中戦車チハ改との区別は付かないのではないでしょうか。


一式中戦車チヘの97式中戦車チハ改からの改良点は

・車体が97式のリベット式から溶接式になり被弾時の乗員への被害が軽減。

・最大装甲圧がチハの25㎜から50㎜に強化。

・砲弾搭載数が20発増加。

・エンジン馬力が170馬力から240馬力に向上。

・砲塔の乗員が2名から装填手が加わり3名になって車長が指揮に専念できる。

・主砲に電気式撃発装置が追加された1式47㎜戦車砲Ⅱ型に変更された。

等の改良が加えられています。


しかし、太平洋戦争では戦車より航空機や船舶の生産にリソースが割かれ、1式中戦車が量産されだしたのが昭和18年に入ってからでした。性能もチハ改と比べて全体的に能力向上していても攻撃力は同じなので優先順位は低そうです。

この頃には米軍は75㎜砲装備のシャーマン戦車を配備しており、47㎜砲装備の1式中戦車は量産開始とともに陳腐化してしまいます。

1式中戦車の車体に90式75㎜野砲を装備した3式中戦車が開発される事になります。


攻撃力自体も新砲塔チハと同じで、生産された車両は内地の部隊に配備されたので実戦経験無しで終戦を迎えています。大戦末期のフィリピン戦では1式中戦車が実戦配備されたとなっていましたが、現場部隊が新砲塔チハを1式中戦車と呼称していたのが混同されているようです。


1式中戦車が「1式」の年代から生産されていたら、初戦のフィリピン戦やビルマ戦でM3スチュワートを撃破して弱い日本軍戦車のイメージが払拭されたのにと思います。実際は新砲塔チハさえもM3戦車との対決には間に合ってませんでした。

個人的には、この1式中戦車が日本軍の戦車としてはバランスの取れた外観をしていてけっこう好きな車両です。



→模型記事一覧へ


2025年5月21日水曜日

サイパン戦車戦 昭和19年10月 四式中戦車咆哮ス

 ようやく日本軍戦車のジオラマが完成しました。

初めて作る戦車ジオラマで、試行錯誤しながら何とか完成です。


「サイパン戦車戦 昭和19年10月」

昭和19年10月15日夕刻、早朝より上陸を開始した米軍の橋頭保へ向け歩兵部隊と共にヒナシスの丘陵地よりオレアイへ、逆落としに突撃を敢行する戦車部隊、といったテーマで製作しています。

サイパン戦で10月?と思われるでしょうが、史実のサイパン戦は6月15日に米軍の上陸が始まっていますが、米軍も当初は1944年10月にマリアナ諸島の攻略を計画していました。しかし、ギルバート、クエゼリン、エニウェトクの攻防戦、トラック島への航空攻撃、その後のマリアナ、パラオへの航空攻撃などで日本軍の抵抗が予想以上に弱く、作戦計画は6月に前倒しになりました。

日本側も米軍のサイパンへの侵攻は10月と予想し防備が遅れていました。守備隊主力の第43師団が到着したのが米軍上陸直前の5月20日でした。住民の歓呼の声の中市街地を行進していた師団が、そこから僅か1ヶ月半で玉砕の運命をたどっています。

今回のテーマは、「もしサイパンの防備が強固に準備され、米軍上陸部隊撃滅へと突撃する戦車部隊と歩兵部隊」です。

今回の主役は4式中戦車です。

史実の4式中戦車は終戦まで試作車両2両の完成にとどまった戦車です。

陸軍の戦車開発生産は航空機や船舶の生産が優先され、常に後回しになっていました。

もし、「昭和19年中に4式中戦車や3式中戦車が完成していたら・・」の設定で製作しています。


昭和19年の夏より量産の開始された4式中戦車、その試作車両2両が決戦の地サイパンへ送られましたという設定で。

4式中戦車と共に海軍陸戦隊も軍刀や銃剣を振りかざして突撃中です。



はじめは4式中戦車を1両配置するつもりでしたが、ジオラマベースを広く作ってしまったので何だか間延びした感じでしたので・・



もう一両戦車は配置してみました。3式中戦車を置きたかったのですが、再販前で売っていなかったので完成手前の1式中戦車を仕上げて置いています。


史実では1式中戦車も内地以外配属されず戦闘を経験すること無く終戦を迎えています。

実際のサイパン戦では戦車第9連隊は97式中戦車改と97式中戦車と95式軽戦車で戦っています。正確な射撃をM4シャーマンに撃ち込んでも弾きかえされたようです。


99式軽機関銃を射撃中。こんなところで伏せていたら戦車に轢かれてしまいそうです(;^_^A



道路を戦車と歩兵が密集してしまっていて艦砲をくらったら壊滅してしまいそうなレイアウトになってしまっていますが、次回作は配置をもっと工夫してみます。


今回のジオラマベースは戦車は固定しておりません。

戦車は自由に配置を変えられます。


史実のサイパン戦のように97式中戦車チハと95式軽戦車ハ号を置いてみました。


タミヤの恐竜セットのトリケラトプスを置いてみたりも。恐竜さんも援軍に参加してくれます。


四式中戦車咆哮ス サイパン戦車戦




在留邦人も疎開し全島を要塞化したサイパンに昭和19年10月12日、800隻もの大艦隊で米軍侵攻部隊が来寇、3日間で9000トンの砲爆撃を加え15日早朝より米海兵隊第二師団と第四師団が上陸を開始する。

強固なべトンで防御された水際陣地では艦砲射撃の損害も少なく、隠蔽られた砲兵陣地と併せて上陸用舟艇やLVT多数を撃破し死傷3000を超える大損害を与え、米軍は戦車揚陸艇を接岸させるなど強引に橋頭堡を確保するも海岸線300mから前進ができなかった。

15日夕刻、米艦載機が活動を終えるころ、陣地転換した15㎝榴弾砲装備の野戦重砲第9連隊第2大隊や独立山砲兵第3連隊、臼砲第14大隊、野砲兵第10連隊第三大隊、噴進砲第2大隊などの砲兵隊が米軍橋頭堡を攻撃し大打撃を与えます。

米軍上陸部隊が大混乱に陥ったところを、戦車第9連隊は歩兵136連隊ととも4式中戦車を先頭に突撃を敢行、長砲身の75㎜砲でM4シャーマンやアムタンクを多数撃破し、米軍陣地を蹂躙するも、次第に沖合からの艦砲射撃が激しくなり、転進に移ります。

以降は複数の予備陣地を機動しながら連合艦隊来援まで持久戦を戦う事になりました・・・



※史実では五島連隊長が16日早朝に戦車隊単独での攻撃を提案しましたが、歩兵との共同攻撃を指示されたものの歩兵部隊の集結が遅れ17日の夜中にずれ込んでしまいます。

この遅れは致命的で米軍は多量のバズーカ砲をはじめ物資を揚陸し日本軍の夜襲に万全の態勢で待ち構えていました。戦車連隊は不慣れな夜襲に加え、強力なM4シャーマン戦車やバズーカ砲、猛烈な砲撃により1両を残して全滅してしまいました。


充分な陣地構築や戦車と歩兵の連携の訓練などが行われていたら史実とは違った戦いになっていたかもしれません。


今回のジオラマ製作にあたって、サイパン戦関連の書籍をいくつか読んでみました。
あの島でどのような事が起きていたのかが知れました。

次回作は、途中で止まっていた日本軍の補給基地のジオラマの製作を進めていきたいです。



 →戦車ジオラマ製作その① 土台作り

→戦車ジオラマ製作その② テクスチャーペイントで地面作り

→戦車ジオラマ製作その③ テクスチャーペイントで草地作り

→戦車ジオラマ製作その④ 紙でバナナの木を作る

→戦車ジオラマ製作その⑤ 銅線で木を作る

→戦車ジオラマ製作その⑥ 草地の色を変更

→戦車ジオラマ製作その⑧ 和巧の紙創りで草を植える

→4式中戦車試作型を3色迷彩で製作


→模型記事一覧

2025年5月15日木曜日

ドラゴン 日本陸軍兵士 硫黄島1945 の製作

 今回のジオラマに配置する歩兵のキットで最後になるのは、ドラゴン社製の「日本陸軍兵士硫黄島1945」です。


拳銃を構えて指示を出す下士官、壕から銃を構えて出ようとしる兵3人のキットです。


14年式拳銃を構え、軍刀も抜刀している下士官。首の位置が拳銃と同方向に向かせたかったのですが真正面を向いてしまってます。

96式軽機関銃を構え、飛び出ようとする兵士。同社ペリリューのキットに入っていた99式軽機関銃に比べ、良い出来になっています。

小銃を構える兵士。


もう一人の小銃兵。前かがみ気味になってしまいました。

こちらもジオラマに配置してみました。

このドラゴン社製硫黄島1945のキットは良い出来なのですが入手が国内メーカーに比べて難しいです。

これでジオラマに配置する歩兵部隊は完了です。

後は戦車を配置していよいよ完成となりそうです!



 →戦車ジオラマ製作その① 土台作り

→戦車ジオラマ製作その② テクスチャーペイントで地面作り

→戦車ジオラマ製作その③ テクスチャーペイントで草地作り

→戦車ジオラマ製作その④ 紙でバナナの木を作る

→戦車ジオラマ製作その⑤ 銅線で木を作る

→戦車ジオラマ製作その⑥ 草地の色を変更

→戦車ジオラマ製作その⑧ 和巧の紙創りで草を植える

→戦車ジオラマ完成 「サイパン戦車戦昭和19年10月」

→4式中戦車試作型を3色迷彩で製作