パラセラルミニチュアの日本帝国 陸軍戦車跨乗兵セットをゲットしました。
ちょっと高い商品でが、オークションで比較的安価?で買えました。2025年11月21日金曜日
戦車跨乗兵セットと四式中戦車
2025年10月31日金曜日
1/35 日本陸軍 ラ式37㎜対戦車砲
日本陸軍のラ式37㎜対戦車砲です。
この速射砲は日本陸軍の制式装備では無いです。中国国民党軍がドイツより輸入して使用し日本軍の装甲部隊は損害を受けました。
支那事変で大量に鹵獲され、現地部隊で使用され好評を得ています。またこの砲が次期火砲開発のサンプルとして活用されています。
こちらのラ式37㎜対戦車砲はタミヤのベテランキット、ドイツ37㎜対戦車砲を製作しました。
キットは対戦車砲本体と砲手や指揮官など4名のフィギュア、弾薬箱、弾薬などが入って安価でお得なキットです。
製作自体は部品点数が少なく簡単にできそうですが、なにぶん古いキットで現在のキットと比べると少々組みにくいです。
塗装はタミヤラッカーのカーキとタイヤはラバーブラックで塗装しています。
ガダルカナルで壊滅した一木支隊にもこのラ式対戦車砲が増強されたようです。
イル川で壊滅した第一梯団は駆逐艦輸送のため速射砲隊を持っていけていなかったですが、川口支隊と共に上陸した第二梯団は本砲と94式速射砲を持って行ったようです。
しかしジャングルを砲を分解して運ばねばならず、軽量の94式速射砲を持っていくだけでも困難な事でした。ラ式対戦車砲は分解もできず運搬が無理なため上陸地点に埋められたようです。
川口支隊総攻撃失敗後翌日、逆襲してきた米戦車部隊のM3スチュワート軽戦車に94式速射砲で果敢に反撃し多数の敵戦車を撃破し一木支隊第一梯団の仇討ちを果たしました。
この時ラ式対戦車砲も前線に持っていけていたらどのように戦っていたでしょうね。
現在、日本軍の対戦車砲としては唯一のインジェクションキット(!?)です。
価格も安いのでお手軽にコレクションに加えられます。
2025年10月12日日曜日
94式軽装甲車後期型完成 ファインモールド1/35
ファインモールドの日本陸軍94式軽装甲車が完成しました。
94式軽戦車は元々、前線に弾薬を運ぶ牽引車として計画されましたが使い勝手の良い豆戦車として軽装甲車として部隊配備されました。
調達価格の安い94式軽装甲車は歩兵師団に軽装甲車中隊として配備され支那事変では戦車部隊と同じような任務で活躍しました。
その後軽装甲車中隊を母体として戦車連隊に拡充され、日本陸軍の機甲化の基礎となりました。
今回製作した、94式軽装甲車の後期型は後部の誘導輪を大型に改良し、キャタピラの設置面積を増やし安定性を増大させています。武装も6.5㎜の91式車載機銃から7.7㎜の97式車載機銃に強化されています。
94式軽装甲車のキットはファインモールド社から前期型、後期型がリリースされていますが、自分が買った時は在庫切れで同社の歴装ヲトメシリーズのキットから製作しています。
製作自体は車体自体が小さいので簡単に進みます。エッチングパーツがマフラーカバーやフェンダー部分など用に付属しています。
履帯は連結組み立て式で車体が小さいだけに履帯も小さい部品を組み立てていきます。
迷彩はキット指定では4色迷彩でしたが、好みで日本戦車の後期3色迷彩、クレオスの枯草色、土地色、草色で塗装しています。
タミヤの将校セットの戦車将校ニキと比べると車高の低さがわかります。
本車の全高は1.63m、全長も3.36mとかなり小型です。
装甲は前面で12㎜、側面が10㎜と小銃弾でも角度によっては危なそうです。
武装もわずか車載機関銃1挺のみ。
しかし、重量は3.45tと軽量で40㎞の速度は発揮します。
歩兵部隊でも特別な支援設備無しで手軽に運用できる機甲戦力として重宝されました。
後部には大きな扉と牽引装置があります。弾薬の運搬や牽引車の牽引などに活用されます。
本車は843両生産され、歩兵の友として大陸での様々な戦場で活躍しました。
太平洋戦争ではすでに旧式化していましたが、貴重な機甲戦力として戦い抜きました。
レイテの戦いではアメリカの上陸用舟艇への射撃を行った事もあるようです。
米軍の圧倒的な火力を前に撃破された車両も多く、クエゼリン環礁の戦いの跡、撃破された94式装甲車が米軍のM4シャーマン戦車の後ろに載せられている写真も有名です。
おまけ(こっちが本体?)の歴装ヲトメの逸花(いつか)さんもいつか作ってみます。
→95式小型乗用車 くろがね四起の製作 ファインモールド1/35
2025年7月1日火曜日
95式小型乗用車 くろがね四起の製作 ファインモールド1/35
ファインモールドの95式小型乗用車、くろがね四起が完成しました。
95式小型乗用車「くろがね四起」は日本初の実用四輪駆動車として日本の陸海軍に採用されました。
良好な走破性で多くの地域で活躍しましたが、生産数は5千両に満たなかったようです。
くろがね四起のキットは多くのメーカーからリリースされています。
1/35だと今回製作したファインモールドとピットロードから、1/48だとタミヤとハセガワからリリースされています。1/48だと飛行機模型と合わせられますね。
キットの製作はストレート組みで作っています。
車体はキット指定ではクレオスの陸軍カーキですが、好みでタミヤラッカーのカーキで塗装しています。
タイヤにはタミヤウエザリングマスターを多めに付けてタイヤ感を出してみました。
後部座席の後ろには幌が折りたたまれています。
小型乗用車というだけあって座席もすごく狭いです。いくら戦前の日本人が小柄といっても窮屈そうです。特に後部座席は成人男性が乗るのはキツそうです。
タミヤの将校セットを乗せてみようとしたら無改造ではお尻が入らず切断や削り込んでようやく収まりました。また将校さんの塗装ができたら乗せてみます。
フロントの陸軍の五芒星のエンブレムの塗り分けが地味に失敗しました。
出来上がったくろがね四起はなかなか魅力的なスタイルです。現在の技術で復刻したらけっこう人気が出そうかも。
2025年6月19日木曜日
日本陸軍機動艇 SS7号艇 ダイリンモデル1/700
日本 陸軍の機動艇が完成しました。
個人で3Dモデルのキットを販売されているダイリンモデルさんから購入したものです。
なかなか魅力的なラインナップを販売されていて商船や特設艦船が好きな方にはおススメです。
日本陸軍の機動艇とは、砂浜に直接戦車や車両を揚陸させる船です。昭和12年ごろから研究を開始し、太平洋戦争開戦前に試作艇を建造、その後量産されていきます。
外見は民間の海上トラックと同じような形状をしていますが、船首には扉があり、砂浜に乗り上げそこから車両を自走させて揚陸させます。この陸軍機動艇はSS艇と呼ばれ試作艇を含め22隻が建造されました。
試作艇は蛟龍と命名され後に機動1号艇と改称、拡大改良艇は播龍と命名、後に機動2号艇と改称、その後の量産艇は機動〇号艇と命名されています。(3号艇は当初海龍と命名されていました)
大戦末期になると、海軍で建造されているより簡易な2等輸送艦を陸軍も資材を提供して建造し、陸軍からはSB艇とよばれ22隻が移管されました。
キットは量産SS艇の3号艇以降がモデル化されています。
3Dプリンター製のキットは半完成しており、艦底を台から切り出すのは大変ですがそれ以降の組み立ては容易です。2025年5月30日金曜日
1式中戦車の製作 ファインモールド 1/35
ファインモールドの1式中戦車が完成しました。
ファインモールドの1式中戦車は同社の日本軍車両の中でも初期のころにリリースされたので、隙間やモールドが若干甘いなどがありますが、組み立ては容易で1式中戦車の勇姿が再現できます。当初はゴム製ベルトの履帯でしたが、プラ製の連結式履帯にリニューアルされています。→模型記事一覧へ
2025年5月21日水曜日
サイパン戦車戦 昭和19年10月 四式中戦車咆哮ス
ようやく日本軍戦車のジオラマが完成しました。
初めて作る戦車ジオラマで、試行錯誤しながら何とか完成です。
「サイパン戦車戦 昭和19年10月」
昭和19年10月15日夕刻、早朝より上陸を開始した米軍の橋頭保へ向け歩兵部隊と共にヒナシスの丘陵地よりオレアイへ、逆落としに突撃を敢行する戦車部隊、といったテーマで製作しています。
サイパン戦で10月?と思われるでしょうが、史実のサイパン戦は6月15日に米軍の上陸が始まっていますが、米軍も当初は1944年10月にマリアナ諸島の攻略を計画していました。しかし、ギルバート、クエゼリン、エニウェトクの攻防戦、トラック島への航空攻撃、その後のマリアナ、パラオへの航空攻撃などで日本軍の抵抗が予想以上に弱く、作戦計画は6月に前倒しになりました。
日本側も米軍のサイパンへの侵攻は10月と予想し防備が遅れていました。守備隊主力の第43師団が到着したのが米軍上陸直前の5月20日でした。住民の歓呼の声の中市街地を行進していた師団が、そこから僅か1ヶ月半で玉砕の運命をたどっています。
今回のテーマは、「もしサイパンの防備が強固に準備され、米軍上陸部隊撃滅へと突撃する戦車部隊と歩兵部隊」です。
今回の主役は4式中戦車です。
史実の4式中戦車は終戦まで試作車両2両の完成にとどまった戦車です。
陸軍の戦車開発生産は航空機や船舶の生産が優先され、常に後回しになっていました。
もし、「昭和19年中に4式中戦車や3式中戦車が完成していたら・・」の設定で製作しています。