日本 陸軍の機動艇が完成しました。
個人で3Dモデルのキットを販売されているダイリンモデルさんから購入したものです。
なかなか魅力的なラインナップを販売されていて商船や特設艦船が好きな方にはおススメです。
日本陸軍の機動艇とは、砂浜に直接戦車や車両を揚陸させる船です。昭和12年ごろから研究を開始し、太平洋戦争開戦前に試作艇を建造、その後量産されていきます。
外見は民間の海上トラックと同じような形状をしていますが、船首には扉があり、砂浜に乗り上げそこから車両を自走させて揚陸させます。この陸軍機動艇はSS艇と呼ばれ試作艇を含め22隻が建造されました。
試作艇は蛟龍と命名され後に機動1号艇と改称、拡大改良艇は播龍と命名、後に機動2号艇と改称、その後の量産艇は機動〇号艇と命名されています。(3号艇は当初海龍と命名されていました)
大戦末期になると、海軍で建造されているより簡易な2等輸送艦を陸軍も資材を提供して建造し、陸軍からはSB艇とよばれ22隻が移管されました。
キットは量産SS艇の3号艇以降がモデル化されています。
3Dプリンター製のキットは半完成しており、艦底を台から切り出すのは大変ですがそれ以降の組み立ては容易です。船首は2等輸送艦と違い観音開きに開いて渡し板を出すようです。
当初は機動艇15隻と陸上部隊にて上陸専門部隊の海上機動旅団を編成する計画でしたが実現せず、機動艇1隻とその乗員で機動輸送中隊を編成する事となり終戦までに30個中隊が編成されました。
今回は22隻建造されたSS艇の中で機動輸送第5中隊に配属された大戦末期の苛烈なフィリピン戦線を生き抜き戦後の復興期にも貨物船として活躍したSS7号艇として製作しています。
SS7号艇は完成後第5中隊に配属され、1944年3月マニラへと進出しました。イ号高速艇を曳航輸送したり、舟艇基地建設輸送や部隊輸送などに活躍します。
1944年10月、いよいよ敵がレイテに上陸し、機動輸送隊もレイテ方面への輸送に駆り出されます。SS7号艇はサマール島への輸送作戦の帰路座礁してしまいますが、敵制空権下にあっても無事に帰投できました。
レイテ島オルモックへの多号輸送作戦第七次作戦の第六梯団にSS6号艇とSS9号艇と参加します。
6号艇と9号艇は被弾炎上し擱座損失してしまいますが7号艇は無傷で揚陸に成功し無事マニラに帰投しています。
12月にはマニラ沖で撃沈された船団の遭難者を他艇とともに1000名以上救助しています。
米軍のルソン島への上陸が近づき、7号艇は12号艇と脱出し台湾へ無事移動、台湾方面での輸送作戦に従事しその後内地へ無事に帰りつきました。
内地へ帰れた後も国内の輸送に活躍し、終戦を迎えられました。戦後は鏑木汽船に引き取られ長崎丸として運用、その後琉球海運に移籍し、三島丸と改名され1964年に引退し解体されています。