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2023年6月8日木曜日

フジミ 重巡洋艦 鳥海 1944年に製作

 フジミの重巡洋艦、鳥海を1944年時に製作しました。

フルハル版キットをウオーターライン仕様にしています。


フジミの特シリーズからは高雄型の4隻すべてリリースされています。

高雄が初期の頃に1944年時で発売され、続いて愛宕と摩耶も1944年時で発売されました。

鳥海のみは1942年時で発売されており、レイテ沖海戦の第4戦隊を再現できません。そのうちレイテ仕様で出るかた思っていましたが全然音沙汰無いので改造して製作してみました。

開戦前に高雄と愛宕は改装を受け、艦橋の小型化、バルジの増設、航空作業甲板の新設、雷装、高角砲の強化などされましたが、鳥海と摩耶は改装の間もなく開戦となりました。

摩耶は損傷復旧時に高角砲やバルジ、航空作業甲板などの改装を受け重厚な艦容となった姿が人気があります。


鳥海は大きな改装を受けられないままレイテ沖海戦に臨んでいます。

電探と機銃の増備がされたぐらいです。

後部のカタパルトと水上機移動用の軌道も高さが違い、運用が大変そうです。

後部艦橋の後ろにジャンクパーツから機銃座を設けてみました。

鳥海のキットは船体は愛宕、摩耶と共通、上部構造物と甲板は専用部品となっています。

そのため、バルジ装着用の穴が開いているため、埋める必要があります。船舷の排水管などもモールドされていないので、薄プラ角棒で再現しています。

船外電路のモールドは、カタパルトの前あたりが違うようで、削って修正するようにエッチングパーツが同封されていますが、私の技量では綺麗に処置できなさそうなのでそのままにしております。


電探は前マストに21号と13号を、艦橋の両脇に22号を装備しています。

25㎜連装機銃は8基に、単装機銃も22基増備されていたようです。

他の高雄型に比べるとおとなしめの機銃増備です。

鳥海は開戦時、マレー攻略部隊の旗艦として南方作戦を戦いました。続いてベンガル湾機動作戦、ミッドウェー海戦に参加します。その後、第八艦隊の旗艦となり、連合軍のガダルカナル上陸を受けルンガ泊地へ突入、第一次ソロモン海戦にて米豪巡洋艦部隊を撃破しています。


大戦後半になると高雄型重巡洋艦4隻にて第二艦隊第四戦隊を組み、マリアナ、レイテの決戦に挑みます。

レイテへ向かう途中、パラワン海にて米潜水艦の襲撃を受け同戦隊の愛宕と摩耶が沈み、高雄が損傷を受けブルネイへ撤退、たった1隻になってしまった鳥海はこれまた1隻になってしまった羽黒とともにサマール沖で米護衛空母部隊を追撃します。

追撃の最中、敵機の攻撃により大破行動不能になり駆逐艦藤波により乗員救助後、自沈処分されます。

乗員救助後、避退中の藤波も米空母艦載機の攻撃により撃沈され、両艦の生存者無しという痛ましい最後でした。




以前に製作した駆逐艦藤波と並べてみました。




→航空巡洋艦 最上 1944年 フジミとタミヤをミキシングで製作








2023年3月29日水曜日

航空巡洋艦 最上 1944年 フジミとタミヤをミキシングで製作

 航空巡洋艦最上、11月から作り出してようやく完成です。

1/700 航空巡洋艦最上のキットはフジミとタミヤから出ていますが、タミヤは2002年にリニューアルしたキットで、フジミは特シリーズで発売されたキットです。

しかし、どちらのキットも一長一短です。これとは別に重巡時代の最上がフジミから発売されていますが、なかなか良いキットのようでしたのでこちらをメインに作ってみたくなりました。


最上のキット3種を比較してみると


●タミヤ版

良好なプロポーションと組立易さを併せたキットです。2002年の発売なのでモールドや装備部品がややあっさり気味です。

セルター甲板は航空作業甲板と同じ鉄板滑り止め表現となっています。


●フジミ 航空巡洋艦状態

2012年発売のキット。セルター甲板の前半がリノリウムの表現になっています。しかし、航空作業甲板の機銃座の位置が左右オフセットなのが、左右対称になってしまっています。

上部構造物も上から圧縮されたようになっており、側面も船外電路のモールド無し、舷窓も大きめとなっています。


●フジミ 重巡状態

2019年発売のキット。今までの特シリーズよりさらに洗練されたキットです。

通風塔や双眼鏡なども別パーツ化され、全体のプロポーションも良好な良キットです。

船外電路も最上の特徴ある配列でモールドされています。

航空巡洋艦最上の小物部品ランナーも入っており、航空機用台車や航空作業甲板両舷の円形銃座なども含まれています。

最上、三隈が昭和17年、鈴谷、熊野が17年と19年版が、それに加え未完成艦の伊吹の重巡状態も発売されています。

こちらのキット基準で最上の航空巡洋艦をリニューアルしてくれたら良いのですが。


このような3つのキットの特徴から、タミヤのキットとフジミの重巡状態のキットをミキシングして製作してみました。


航空巡洋艦のタミヤとフジミのキットは両方とも1943年の状態でしたが、今回は機銃の増設された1944年時で製作してみました。


キットのベースは重巡状態のフジミのキットを使用します。

タミヤのキットからは航空作業甲板と後部の甲板、増設された機銃座や兵員待機所などを使用しました。


セルター甲板はタミヤは全面鉄板張りでしたが、後部艦橋より前はリノリウム張りのようでしたので、カットします。


航空作業甲板の下の甲板はタミヤのキットが支柱もモールドされていたので使用しました。

タミヤは船体の上に貼る構造、フジミは内側に埋め込む構造でしたので、タミヤのパーツとフジミの船体を削り込んで埋め込みました。

魚雷発射管付近の構造も違いましたので削って現物合わせに取り付けています。

この部分の合わせが今回一番大変でした。

後は、フジミのキットをベースに航空巡洋艦の艦橋周りや後部艦橋にタミヤのパーツを使いながら組み立てました。

艦橋両舷のカッターは最終時には増設機銃座に変えられて、カッターは後部艦橋横に移されています。フジミのキットではカッター取付用のダボ穴が開いていたので、機銃座と弾薬箱で塞いでおきました。そのため少し位置がずれています。

航空作業甲板の後端には3連装機銃座を大和の艦尾機銃座のエッチングパーツを加工して使用。艦尾の大きなアンテナはプラ棒で作っています。

艦載機は零式水上偵察機と零式水上観測機が搭載されていましたが、今回はピットロードの日本海軍機セット4から瑞雲を8機搭載してみました。


飛行甲板には14挺の単装機銃が増設されましたが、なかなか航空機と当たりそうな位置ですね。実際は13㎜単装機銃を装備していたようですが、25㎜単装機銃にしています。

電探は前マストに21号と22号、後部マストに13号を装備しています。


フジミの新しい最上型のキットは精悍な姿を再現でき良いですね。熊野と伊吹も積んでいますので製作していきたいです。


航空巡洋艦最上 1944年時 if瑞雲搭載状態

20㎝砲6門 12.7㎝高角砲8門 61㎝三連装魚雷発射管4基12門

25㎜3連装機銃14基、同単装18基 合計60門

瑞雲8機


→フジミ 駆逐艦 時雨 1944年 

→艦NEXT 戦艦長門 

→駆逐艦 藤波  ハセガワ 早波改造

→艦船模型記事一覧





2017年4月23日日曜日

重巡洋艦 摩耶 昭和19年時の製作

フジミの重巡洋艦、摩耶の最終時です。



精密なモールドの特シリーズの中でも、この摩耶は重厚な上部構造物を有しているので、組みあがると中々の迫力です。

アオシマとピットロードからも摩耶は発売されています。
作り易さのアオシマと予備部品の豊富なピットロードとハイディティールのフジミと好みによって選ばれたら良いと思います。



巨大な艦橋がそのままに高角砲機銃が増設された、戦艦と見間違えられた程の重厚な艦影です。
その特徴的な姿で人気のある艦です。

特シリーズのキットは船底板が無いのでいつもはプラ板で0.8㎜かさ上げしていますが、摩耶は改装で喫水が深くなっているのを表現したく、そのままにしています。



艦橋前は機銃座と高角砲座が集中している迫力のある部分です。

このキットは部品の合わせがきつく、前のマストも調整しないときれいに取り付けれません。
甲板も魚雷発射管に干渉するのか甲板と船体にひずみが出てしまいます。
次に高雄型を作る時は注意して作ってみます。



製作している時に呉式2号射出機のエッチングに持ち合わせがなく、キットのプラパーツを使ってみましたが、墨入れするとけっこう良い感じですね。



高雄型4隻を揃えて、栄光の第四戦隊を再現してみたいです(^^)




高雄型重巡洋艦は巨大な艦橋が特徴的で、建造当時も国内外から注目を集めた艦型でした。
しかし、大きすぎる艦橋も具合が悪かったようで、開戦前に高雄と愛宕は近代化改装で艦橋の小型化と魚雷兵装や対空兵装の強化、後マストの移設、航空作業甲板の新設、バルジの装備などを実施しています。しかし摩耶と鳥海は小規模な改正のみで、ほぼ新造時のまま太平洋戦争に臨みます。

摩耶は開戦当初、フィリピン攻略作戦に参加、その後、蘭印攻略作戦、ポートダーウイン空襲に参加しています。ポートダーウイン空襲後、蘭印から豪州へ逃亡する連合軍艦船の封鎖作戦に参加し他艦と協力して英駆逐艦ストロングホールドや護衛艦ヤラ、商船7隻等を撃沈、商船数隻を拿捕する戦果を挙げています。
ミッドウエイ作戦では別動隊のアリューシャン作戦に高雄とともに隼鷹と龍驤とダッチハーバーに空襲を仕掛けました。

米軍のガダルカナル上陸を受け、摩耶ら第二艦隊も同島を巡る戦いに参加します。
第二次ソロモン海戦にも前進部隊として参加しています。
10月15日には妙高らとヘンダーソン飛行場に艦砲射撃を行い砲撃に成功しています。
南太平洋海戦にも前衛部隊として参加しています。
第三次ソロモン海戦では再びヘンダーソン飛行場に砲撃を敢行し、成功しましたが帰投中に米軍機の攻撃を受け、重巡衣笠が沈没、鳥海と五十鈴も損傷しました。摩耶にも米軍機が体当たりし損傷を受けています。

内地で修理を受け、その後北方の第五艦隊に編入され、アッツ島への増援作戦中に米艦隊と遭遇し、アッツ島沖海戦が起こりました。日本側の指揮がまずく多数の主砲弾や魚雷を消費したのに戦果はわずかで輸送作戦も失敗に終わっています。

次は再びラバウル方面に転戦します。米軍のブーゲンビル島侵攻を迎え撃つため第二艦隊の重巡部隊はラバウルに進出しますが、ラバウル入港直後に米空母艦載機の空襲を受け重巡部隊に沈没艦は出なかったものの多くの損害が出てしまいます。摩耶も航行不能になるほどの損傷を受け応急修理の後に内地へ修理に向かいました。

この損傷修理で大改装が施されます。3番主砲と12㎝単装高角砲を撤去し、12.7㎝連装高角砲を6基装備し、魚雷発射管も連装4基から4連装4基に倍増、電探と機銃も増備され、復元性確保のためバルジも増設されました。

大きな防空能力の備わった摩耶はこの後、マリアナ沖海戦にも参加します。
この海戦でも摩耶は至近弾により損傷を受けてしまいます。

マリアナ沖海戦敗退後、次の米軍の矛先はフィリピン、レイテ島に大部隊で進行してきました。
摩耶も第二艦隊の水上部隊の一員として、ブルネイを出撃、レイテ湾へ向かいますが、パラワン水道を進撃中、米潜ダーターとデースの雷撃を受け摩耶は魚雷4本が命中し撃沈されてしまいます。同時に愛宕も撃沈され、高雄も損傷を受けブルネイに後退、ただ一隻残った鳥海もサマール沖海戦で米軍機の攻撃を受け沈没し、第四戦隊は壊滅してしまいました。






→フジミ 重巡洋艦 鳥海 1944年に製作フジミ 

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2017年3月19日日曜日

重巡洋艦 熊野 1944年時を製作 タミヤ改造

重巡洋艦熊野の1944年時です。



このキットは5年ほど前に製作したものです。
タミヤの熊野は15.5センチ3連装砲を装備した軽巡洋艦時代のキットで、姉妹艦の鈴谷も開戦前の状態でのキットです。
大戦後半の状態ではどちらもキット化されていないので、一部航空巡洋艦最上のパーツを流用しながら製作しています。



主砲の20㎝連装砲やシールド付き12.7㎝高角砲はピットロードの武装パーツを使用しています。
重巡高雄型用に開発されたパーツ類ですので重巡洋艦用の各種偽装品がセットされています。



軽巡時代の熊野から大戦後半の熊野への改造点は、

・主砲を15.5㎝砲から20㎝砲に交換。
・艦橋トップに防空指揮所と遮風装置を増設。
・前マストに21号電探と22号電探を装備し、電探室を増設、ループアンテナの移設。
・艦橋前の機銃座を3連装機銃2基に改修。
・後マストに13号電探と基部に機銃座を増設。
・艦橋下と艦尾に機銃座を設置。甲板に単装機銃を設置。

などを施しました。



フジミの重巡洋艦と比べるとあっさりとした感じですが、組み立てはカッチリと合いやすく作りやすいキットです。
フジミさんも、航空巡洋艦の最上はキット化しましたが、この熊野と鈴谷はなかなか出してくれませんね。大戦後半仕様で出すとけっこう需要はあると思うのですが(^^)
利根と筑摩と第七戦隊も組ませてみたいですね~



熊野は最上型軽巡洋艦の4番艦として建造されました。最上と三隈が排水量を抑えて建造され、船体強度などに無理が生じたので、改設計され鈴谷とともに鈴谷型とも呼ばれます。ボイラーも最上の10基から新式のボイラーに変更され8基とコンパクトになり吸気口なども改正されています。

最上型は揃って第七戦隊を編成し、その中でも一番新しい熊野は旗艦を務めることになります。
4艦は軍縮条約脱退後、揃って主砲を20㎝砲に換装し重巡洋艦として生まれ変わりました。
開戦時は第七戦隊は栗田少将の指揮の元、南方作戦に進出、バタビア沖海戦でも消極的な指揮で、第二小隊の最上と三隈のみが敵と戦っています。続いてベンガル湾の通商破壊作戦に参加し、多数の敵商船を撃沈しています。

ミッドウェー海戦では主力4空母が沈没後、ミッドウェー島の砲撃を命じられますが、突然の敵潜水艦発見の報で回避運動をとると、最上と三隈が衝突してしまい、最上は艦首を損傷して速力が低下してしまいます。すると栗田少将は三隈と朝潮、荒潮に援護を任せ、自身は熊野と鈴谷を率いて退避してしまいます。その後残された最上たちは米軍機の追撃を受け、三隈が沈没、最上と朝潮、荒潮は損傷を受けてしまいました。

三隈が沈没し、最上が大破し、航空巡洋艦へ改装される事になり第七戦隊は熊野と鈴谷の2隻だけとなります。第七戦隊の司令官は西村祥治少将に代わり、インド洋での通商破壊作戦に加わるべくメルギーに進出しましたが米軍のガダルカナル上陸を受けて、作戦は中止、空母部隊の第三艦隊に加わり、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦などに参加しています。

ガダルカナル撤退後もソロモンでの戦いは続き、コロンバンガラ島への輸送作戦に参加中、米軍機の雷撃を受け損傷しています。修理後はカビエンへの輸送任務に就いています。

昭和19年になると、第八戦隊の利根と筑摩が第七戦隊に編入され久しぶりの4隻編成となりました。司令官も白石少将が着任し、この編成でマリマナ沖海戦にも参加します。

レイテ沖海戦には第二部隊として金剛、榛名らとレイテ目指して進撃します。シブヤン海の空襲では被害は軽微でしたが、サマール沖で米護衛空母部隊と遭遇し追撃戦に入っている中、護衛空母機や駆逐艦の決死の反撃を受け、熊野は駆逐艦の雷撃により艦首失い単艦で退避し途中艦載機の攻撃を受けつつもコロン湾経由でマニラまでたどり着きました。

11月5日、同じように米潜の雷撃により損傷し速力の出せない青葉と商船5隻は海防艦と駆潜艇に護衛されて台湾の高雄を目指し出港しましたが、米潜のウルフパックにつかまり必死の回避運動をするも、魚雷2本が命中し、航行不能になり、2D型貨物船の道了丸に曳航してもらいなんとかサンタクルーズ港に到着しました。ここで応急修理と機関用の真水の補給を川からドラム缶で運ぶなど、本土への帰還を目指して懸命の作業が続けられましたが、11月25日、ついに米艦載機の空襲を受け魚雷5本、爆弾4発を受け、沈没してしまいました。




タミヤ 1/700 ウォーターラインシリーズ No.344 日本海軍 軽巡洋艦 熊野 プラモデル 31344



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2017年1月31日火曜日

ハセガワ 重巡洋艦 青葉 製作

「ワレアオバ、ワレアオバ」 ハセガワの重巡洋艦青葉です。



青葉は古鷹型に続いて建造された重巡洋艦です。ソロモンの狼と呼ばれた青葉は第6戦隊の僚艦、加古、古鷹、衣笠が相次いで沈んでいく中、何度も損傷を受けながら終戦時も呉で大破擱座状態でしたが終戦を迎えられた歴戦の艦です。

「この世界の片隅に」で主人公のすずさんの幼馴染が乗艦していた艦で、知名度も上がったようです。



船体が前から後ろへ緩やかな傾斜を帯び、2本の煙突と主砲を3基備えた優美な艦姿です。

ハセガワの青葉のキットはウォーターラインシリーズの重巡洋艦のリニューアルの中でも最後の方でしたので、その分、組み立てやすく精密なキットとなっております。欠点は購買意欲をそそらないビミョーな箱絵でしたが、その後新しい絵に改正されています。

加古、古鷹、衣笠が開戦時~戦没時の昭和17年の姿でキット化されていますが、青葉は戦争後半の対空兵装が増強された姿でキット化されています。



青葉型のC型砲塔も側面にモールドが入っております。
船外電路はモールドされていないのでプラ棒で再現しております。
大戦後半は舷窓も閉鎖されていたので打ち抜きポンチ1ミリ径でプラ板を打ち抜いて貼り付けています。



前マストも1本マストから電探装備のため3脚マストに変更され電探室も作られています。
キットではなぜかトップヤードが無い仕様になっています。プラ棒で作っています。



阿賀野型軽巡のように航空作業甲板の4隅に3連装機銃が増設されています。
12センチ単装高角砲とむき出しの魚雷次発装填装置が素敵です。




艦尾にも増設機銃座が設けられています。



妙高型や高雄型に比べて小ぶりで地味ですが、精悍でかっこいいです。
特に艦首から見ると、後方へ少しずつ傾斜して下がっている船体はなかなか迫力があります。



小型で艦の構造もシンプルで製作も作りやすい良いキットです(^_-)-☆




青葉は古鷹、加古、衣笠と第6戦隊を編成し、グアム攻略作戦、第二次ウエーク攻略作戦、珊瑚海海戦などに参加しました。

米軍がガダルカナルに奇襲上陸をかけて来た17年8月、青葉らは三川軍一中将の指揮のもと、米豪艦隊を強襲し重巡4隻撃沈、重巡1隻駆逐艦2隻撃破等の大戦果を挙げますが翌日の空襲を恐れ輸送船団は見逃してしまいます。帰路の途中、加古が米潜の雷撃により撃沈されてしまい完勝とはなりませんでした。

残った第6戦隊はその後もガダルカナルへ増援輸送を行うための輸送作戦の支援に出撃します。この時サボ島沖で発見した艦を味方の輸送隊と思い込み、「ワレアオバ」と信号を送ってしまいます。この時の相手が米軍の巡洋艦部隊で青葉は米艦の攻撃により艦橋や3番砲塔などに命中弾を受け、一瞬にして戦闘力を損失し、戦場を離脱します。奇襲を受けた味方は不利な体勢ながらも反撃し駆逐艦1隻を撃沈したものの古鷹と吹雪が撃沈されてしまいます。

大損害を受けた青葉はトラックで応急修理後、内地で修理を受けます。その間に起こった第三次ソロモン海戦で衣笠も航空攻撃により撃沈され、第6戦隊は青葉のみとなり解隊となってしまいました。

修理の終わった青葉は再びソロモン、ニューギニアの戦線に戻ります。しかし、18年4月、空襲を受けまたもや大破してしまいます。決死の応急処置によりなんとか内地へ生還することができました。この時の損傷で機関も損傷を受けて、修理後でも28ノットしか出なくなってしまいます。
速力が出なくなってしまったので、第一線の艦隊任務には就けなくなり、東南アジア方面の第一南遣艦隊第16戦隊に配属されシンガポールを中心に輸送任務に就きました。その間にインド洋での通商破壊作戦にも参加しています。

6月には米軍のビアク侵攻を迎撃する渾作戦の主隊として参加、その最中マリアナ方面への大規模な侵攻を受け渾作戦は中止となります。
米軍のレイテ侵攻の際には当初、第16戦隊の鬼怒と浦波とともに、第一遊撃部隊に所属していましたが、出撃直前に輸送任務を与えられ、オルモックへの第一次輸送作戦に参加します。しかしルソン島西方で米潜の雷撃を受け三度目の大破、鬼怒の曳航によりマニラ港へ逃れました。応急修理後、5ノットしか速力を出せませんでしたが、同じような状態の重巡熊野らとマニラを脱出、内地に向かいますが、またもや米潜の襲撃を受けます。青葉は奇跡的に回避できましたが、熊野は魚雷を受け航行不能、サンタクルーズ港で応急修理中に米機動部隊艦載機の攻撃を受け撃沈されてしまい、両艦の明暗を分けました。

辛くも内地にたどり着いた青葉ですが、当時の日本にはここまで損傷を受けた重巡を修理することはできませんでした。青葉は予備艦となり呉で防空砲台となります。昭和20年7月に度重なる空襲を受け、多数の爆弾が命中し艦尾も切断され、ついに歴戦の重巡青葉も大破着底し、終戦を迎え戦後解体されました。


        


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2017年1月17日火曜日

フジミ 重巡洋艦 那智 1944年時 製作

フジミの重巡洋艦、那智です。



フジミの妙高型重巡はフジミのウオーターラインシリーズ脱退後、独自のブランド、シーウェイモデルを改め、新ブランド、「シーウェイモデル特」として、大和型に続いて発売されました。
その後の戦艦金剛から超精密なモデルを発売して現在に至りますが、その前に発売された妙高型は精密度でいえば現在の特シリーズより劣ります。しかし価格も手ごろで組み立てやすく、他社の重巡キットと並べても遜色の無いキットです。
妙高型はハセガワからも発売されています。どちらを選ぶかは好みによると思います。



組み立ては同社の利根型や高雄型と比べてスラスラと組みあがります。
入門用には最適なキットです。
妙高型各艦を作り分けられるように部品も分けられていますが、船外電路や煙突の蒸気管などが全部共通になってしまっています。



航空作業甲板のマスキングはやや手間がかかりますが。



艦橋は高雄型より小ぶりですが、なかなかの存在感です。
ここは墨入れするとグッと引き締まります。



那智の増設機銃は大戦末期でも25ミリ連装機銃が増設されたのみで、前から装備しているのと併わせて25ミリ連装機銃は合計10基となり、他の重巡と比べて控えめです。他に単装機銃が28基装備されていましたが、この作例では省略しています。
電探は22号が艦橋両舷に。21号と13号が前マストに装備されています。



このキットの欠点は艦首のすべり止めパターンがなぜかリノリウム張り表現になってしまっている事です。ここは鎖などのモールドがあるので修正は難しい部分です。



作りやすいキットですので、妙高型4隻を並べることも他艦と比べたら簡単そうです。
できることならば、艦NEXTシリーズで4隻作り分けれるようにリニューアルされたらうれしいですが(*'ω'*)

那智は妙高型重巡洋艦として1928年に竣工しました。
開戦時は第五戦隊に所属し、ダバオやマッカサル、チモール島攻略作戦などを支援しました。
スラバヤ沖海戦では連合軍艦隊と交戦、遠距離からの砲雷撃戦を行いましたが、なかなか命中弾を得られず、ようやく第二夜戦でオランダ巡洋艦、デ・ロイテルとジャワを撃沈しました。

南方作戦終了後、那智は北方艦隊である第五艦隊に転属し旗艦となりました。
アリューシャン作戦参加後、昭和18年には占領しているアッツ島への輸送作戦支援に出撃、この時阻止に来た米艦隊とアッツ沖海戦が起きます。この時も遠距離砲戦で双方決定打に欠いた戦いとなり、司令長官の細萱中将はのちに更迭されます。

その後も第五艦隊は北方に展開していましたが、サイパン失陥後は南方へ移動、レイテ沖海戦に志摩中将の指揮のもと、第二遊撃部隊としてスリガオ海峡へと突入、先に突入し大破し後退中の最上と衝突してしまい、艦首を損傷し速力が低下、レイテ突入を断念します。
その後マニラ湾に帰投し、レイテへの増援作戦、多号作戦を支援しますが、マニラ湾にも米機動部隊艦載機の空襲があり、那智もレキシントン艦載機の攻撃を受け、撃沈されてしまいました。




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