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2023年3月20日月曜日

アオシマ 軽巡洋艦 大淀

 アオシマの軽巡洋艦、大淀です。


大淀は最後の連合艦隊旗艦を務めた艦です。

戦前日本海軍は、漸減邀撃作戦として、主力艦隊同士の戦いの前に潜水艦や航空機で敵主力艦を漸減する構想を立てていました。航続距離の長い巡洋潜水艦で敵艦隊を探し出すのは無理がありますので、大きな偵察力と通信力を持った潜水艦隊旗艦にて潜水艦群を指揮しようと建造されたのが大淀です。

主砲は最上型から流用した15.5㎝3連装砲2基、高角砲は新型の長10㎝高角砲を連装で4基、魚雷発射管は無しで後部には大型のカタパルトと6機の高速水偵を搭載する大型の格納庫を備えた特殊な巡洋艦として大淀は完成しました。

しかし、開戦後、漸減邀撃作戦は起きず、洋上で潜水艦隊を率いるという場面は無くなり、竣工したての大淀の活躍の場はありませんでした。

仕方なしに各種輸送作戦に就いていましたが、戦局の悪化に伴い、連合艦隊旗艦であった第一戦隊の大和、武蔵を最前線で使うため、大淀の後部格納庫を連合艦隊旗艦の司令部に改造す事となります。

大型のカタパルトは従来のカタパルトに交換し格納庫は司令部に改造されました。

しかし思いのほか司令部としては手狭で通信能力も限られており、連合艦隊司令部は地上の日吉に司令部を移転します。


またもや仕事の無くなった大淀は、次は第三艦隊の空母部隊の護衛として、レイテ沖海戦に参加します。空母瑞鶴沈没後、旗艦を引き継いでいます。

レイテの戦いの後、南方に転戦し、礼号作戦でミンドロ島の米軍を砲撃に成功します。

その後航空戦艦伊勢、日向らと南方から物資を持ち帰る北号作戦を無事に完遂しますが、燃料不足で呉にて予備艦となります。そのまま身動きの取れないまま米機動部隊の空襲で被弾、横転し着底、戦後浮揚され解体されました。

アオシマの大淀のキットは繊細なモールドと組みやすい構成でストレート組みでも大淀の雄姿が再現できます。

主砲の砲身は少し太かったので、ストックしていたタミヤの軽巡熊野の主砲を使用し、前後マストのトラスを細プラ棒で組み、電探と射出機をエッチングに、機銃も交換しています。


→艦船模型記事一覧



2018年6月1日金曜日

アオシマ 給糧艦 間宮 最終時の製作

アオシマの給糧艦間宮の最終時の完成です(^^)/




給糧食艦間宮は日本海軍初の本格的な給糧艦として八八艦隊計画時に建造されました。
間宮は肉類、魚類、野菜類などの貯蔵用の冷蔵庫を完備し、艦内にはパンや麺類、豆腐やコンニャクなどの加工食品、アイスクリームやモナカ、おまんじゅうやラムネなどの製造設備を持っていました。

間宮には軍属として和菓子職人などが乗船しており、間宮の羊羹は虎屋の羊羹より美味しいとも言われていました。甘党の身としては是非、間宮製造のお菓子を食べてみたいものです(笑)

艦内は入浴設備や洗濯設備も充実しており、士官のクラス会なども催されていたようです。間宮が泊地に入港すると将兵の士気が、かなり上がったようです。



以前は間宮はガレージキットしか存在せず、氷川丸などの部品を使ってフルスクラッチしてみようかと思っていましたが、艦これで人気が出てピットロードとアオシマのまさかの2社競作となりました。

ピットロードのキットはフルハルのみで戦前状態と最終時がキット化されています。
アオシマは、まずは艦これ版、続いてSD版、ガトー級潜水艦シーライオン付属の最終時、通常版がキット化されています。



今回はアオシマの間宮最終時のキットが2年近く眠っていたので、こちらを製作しました。アオシマのキットは喫水が深く、ちょっと腰が低い状態ですので、プラ板の0.5㎜を2枚貼ってカサ上げしています。1ミリプラ板を使わなかったのは0.5㎜1枚ごとにカッターで切って整形しやすいからです。

アオシマのキットは組みやすいのですが、中央の構造物内壁が高くて若干浮いてしまうので削り込んで調整しています。



今回は探照堂さんのマスキングシートを初めて使ってみました。
間宮も甲板のモールドが多いのでマスキング作業が大変そうですので。



試しに船首楼に貼ってみました。ピッタリと合いますので、慎重に貼っていきます。




全部貼り終えました。かなりマスキング作業の時間が短縮できました(^^)v



軍艦色で船体を塗装後、船倉のハッチをカーキで塗装後、マスキングを剥がしました。
下の木甲板色も剥がれずにキレイに剥がせました。



その後、艦橋、煙突、マスト、クレーン、通風塔、艦載艇などを取り付けてウオッシング後、つや消しで整えて完成です(^^)/

煙突は石炭炊きのため、糧食に灰が落ちないように高めの煙筒となっています。




最終時の25㎜連装機銃が増設された艦橋まわり。艦橋横にはシールド付きの8㎝高角砲も装備されています。

給糧艦特有の糧食配給艇が甲板に搭載されています。

通風塔は数が多いので取付はなかなか大変でした。通風塔内部は錆止め塗装の赤系として艦底色とレッドを混ぜた色で塗っています。




艦首と艦尾に14㎝単装砲座が備えられています。
最終時には砲座両脇に25㎜単装機銃が増設されていました。
他に今回は付けていませんが、7.7㎜単装機銃(開戦前から元々装備していたやつ?)が艦首と艦尾に1基ずつ装備されていたようです。

最終時の武装は
14㎝単装砲2門、8㎝単装高角砲2門、25㎜3連装機銃2基、連装2基、単装4基、合計14門
7.7㎜単装機銃2基 のようです。



ひと昔前でしたら間宮のインジェクションキットなんて夢のまた夢でしたが、良い時代になりましたね(^^)他の補助艦艇もかなり充実してきました。

この間宮は「はわい丸」型貨客船をタイプシップにしていましたので、緒戦の侵攻作戦で活躍しガダルカナル増援作戦で撃沈された陸軍防空基幹船「ありぞな丸」なども改造で製作できそうです。




間宮は就役後、連合艦隊付属の給糧艦として長らく活躍し、開戦後も前線への糧食輸送に大活躍しましたが、大戦末期の19年12月に前月に戦艦金剛と駆逐艦浦風を沈めた米潜水艦シーライオンに南シナ海で撃沈されてしまいました。連合艦隊の将兵に愛された間宮も悪化する戦況の中で最期を迎えました。





以前に製作した妹分の伊良湖と並べてみました。

ピットロードの伊良湖は船体のプロポーションがちょっとスマートじゃないので(笑)是非アオシマさんにもキット化してもらえたら良いですね(^^)





→ピットロード 海防艦日振の製作

→ピット+艦NEXT戦艦大和をレイテ沖海戦時で製作

→アオシマ 給油艦ましゅう の製作

→ピットロード 給糧艦 伊良湖 最終時の製作

→アオシマ 艦これ 給油艦 速吸 最終時製作



2017年8月14日月曜日

アオシマ 給油艦ましゅう の製作⑤ 完成です

先月から製作していたアオシマの給油艦「ましゅう」とりあえず完成です(^^)/



この季節は湿度が高いので、つや消しクリアーでのトップコートは秋に入ってからにしようと思いますが、ひとまず完成という事で(^^)v



護衛艦いずもが就役するまでは海上自衛隊最大級の艦で、なかなか作り応えがありました。上部構造物の合わせ目が出てしまうので、その隙間埋めの手間はありましたが、各部品も組易くされていて、作り易いキットでした。ヘリ着艦標識や戦闘通路は大きさがあったので分割して貼っています。




甲板上には給油用のポストが林立しています。このキットには残念ながら給油用のホースのパーツはありません。エナメル線やなにかで作ろうとも思いながら、それをどう接続するか考えましたが、なかなか答えをだせず、とりあえずキットのままで(;^_^A
けっこう目立つポイントですので何とか作ってみたいですが・・・



艦橋上にはステルス性も考慮された形状のマストや煙突が。「ましゅう」も他の護衛艦と同じくガスタービン機関で24ノットの速力を発揮できます。



艦後部にはへり着艦甲板とヘリの格納庫も備えています。



ヘリ格納庫上と艦首には20㎜CIWSが搭載されています。
実艦では後日搭載予定で台座のみとなっていますが模型では搭載されています。

海上自衛隊の後日搭載予定は、ほとんど装備されることは無いようですが(;^_^A

ボート甲板には不審船用に12.7㎜機銃も装備されています。



「ましゅう」は2004年に就役以降、テロ対策特別措置法によりインド洋で何度も給油活動に従事しています。「ましゅう」は護衛艦隊の直轄艦に編入され、舞鶴を母港として活動しています。
何度か舞鶴に行った時は、遠目からもその巨体が存在感を放っていました。
昨年のサマーフェスタでも艦上への見学は出来なかったので、いつかは乗艦見学をしてみたいです。



護衛艦「さざなみ」とのツーショット。

給油中はこんな感じに並走して給油作業を行うんですね。
給油用のホースが再現できれば面白いジオラマとかも作れそうです。



標準的なサイズの護衛艦「たかなみ」型と比べても、かなりの大きさです。
コレクションに入れると、かなりの存在感です(*'ω'*)

次はタミヤの島風か、ハセガワの早波を作っていこうと思います(^^)v



→アオシマ 補給艦ましゅう の製作① 船体の組み立て

→アオシマ 補給艦ましゅう の製作② 艦橋と上部構造物の製作

→アオシマ 給油艦ましゅう の製作③ 甲板へ部品の取付け

→アオシマ 補給艦ましゅう の製作④ 塗装とデカール


→ハセガワ 夕雲型駆逐艦 早波 キットレビュー

→タミヤ 駆逐艦 島風 キットレビュー






→ピットロード DD113護衛艦さざなみ の製作

→アオシマ DD115 護衛艦あきづき 製作

→アオシマ むらさめ型護衛艦 DD₋103ゆうだち 製作

→アオシマ DDG177 護衛艦 あたご 製作

→ピットロード DDG170 護衛艦 さわかぜ 製作

→ハセガワ DDH183 護衛艦いずも 製作

→艦船模型・戦車模型 記事一覧


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2017年6月5日月曜日

アオシマ 水上機母艦 日進IF改装1944年の製作

アオシマの水上機母艦 日進を、「もし1943年にブーゲンビル沖で沈まずに1944年の捷一号作戦まで残存していたら・・・で去年製作したものです。





千代田と船体は共用で、バルジの削除が手間ですが、今までキットが無かった艦を発売していただいてありがたいです。





日進は千歳型水上機母艦の準同型艦として③計画で建造されました。当初は高速敷設艦にも使用できるよう14㎝連装砲を3基装備しています。その後計画は改められ千代田と同様に甲標的母艦としての装備が追加され、この状態で竣工しています。
開戦直後に就役した日進マダガスカルのディエゴ・スアレス攻撃に使用される甲標的をペナンまで輸送しています。その後ミッドウエイ海戦にも参加しています。
米軍のガダルカナル侵攻に伴い、日進はその輸送力を活かして重火器の揚陸に活躍します。ガダルカナルへも15センチ榴弾砲や10センチ加濃砲などを何度も揚陸に成功し、その火砲は米軍に「ピストルピート」と呼ばれるほどの活躍をしています。
その後千歳、千代田が空母に改装されるなか、輸送作戦に活躍しますが、1943年7月ブーゲンビル島への輸送作戦中に空爆により撃沈されました。


今回も、もし日進が生き残れて、1944年に対空装備が増強された状態を製作してみました。



艦前部の3基の14センチ連装砲が力強いです。

艦橋前に25ミリ3連装機銃を、艦橋上に22号電探、マスト上に21号電探を増備してみました。



後部デリックポスト上にも3連装機銃を2基、後マストに13号電探を装備しています。



搭載機には瑞雲を載せてみました。哨戒任務に活躍してくれそうです。



艦尾甲標的ハッチから大発を発進! というのは無理そうですが、中発とか小発とかだと、どうなんでしょうね? 実際に輸送任務ではどう大発を使用していたんでしょうね。

艦尾にもクレーン横に機銃を一基増備してみました。




25ミリ機銃は竣工時は8基24挺装備していたのを改装して12基36挺に増強してみました。

写真ではわかりにくいですが、舷窓を全部プラ板を0.8ミリの打ち抜きポンチで作った蓋を貼りつけました。

めちゃくちゃ窓の数が多くて難儀しました。

アオシマの水上機母艦シリーズは良いキットなのですが、欠点が船体の肉厚がペラペラすぎて船体が反りやすそうな事です。

今回の日進は船体の中に石膏をガチガチに入れて固めて、ずっしりと水平を保てていますが、その前に瑞穂を作っていたら製作70%の時に反ってきて、修正不能で廃棄しました。

それと純正エッチングが初版のみがもったいないです。水上機母艦はクレーン類が見どころですので常時販売して頂ければ、もっと購入する人も多いんじゃないかと思います。


今回はクレーンはキットのプラパーツを使用し、カタパルトはハセガワの伊勢日向用のを使用しました。



この日進が、輸送艦を率いてオルモックへ進出して、優秀な装備を持った第六八旅団(星兵団)を「完全な装備」でレイテまで送り届けてあげたいです。
史実では乗船した輸送船や輸送艦も多数が撃沈されてしまい、多くの装備や人員を失いながらも上陸、他の師団が敗走するなか優勢な米軍との激闘を繰り広げて終戦間際まで戦い続けました。


→フジミ 戦艦比叡 1944年時IF改装 製作

→タミヤ 軽巡洋艦名取 最終時製作

→駆逐艦 浦波 1944年時 製作 ヤマシタホビー+ピットロード

→アオシマ 艦これ 給油艦 速吸 製作

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→アオシマ 陸軍舟艇母船 あきつ丸の製作

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→アオシマ 特設水上機母艦 聖川丸 昭和19年 製作

→艦船模型・戦車模型の記事一覧表




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2017年4月14日金曜日

陸軍舟艇母船 あきつ丸の製作

アオシマの陸軍舟艇母船、あきつ丸です。




日本陸軍は上陸作戦用の器材を研究し、上陸用舟艇の大発、小発などを開発しました。
それらの舟艇は貨物船に運ばれ、クレーンで海面に下ろしてから人員物資を積み込まなければなりませんでした。これでは迅速な上陸作戦ができないという事で、船内から人員物資を搭載したまま発進できる船が建造されました。これが世界初のドック型揚陸艦、「神州丸」でした。神州丸は世界初の強襲揚陸艦とよべるような船で、大発の迅速な発進はもとより、97式戦闘機も発進だけならできるといった能力を持っていました。しかし、実際に航空機を運用するには無理があり後日設備は撤去されました。
神州丸の成功により、陸軍は同様の特殊船を増やすことになりました。その中に航空機を運用することもできるよう飛行甲板を有した特殊船丙型としてあきつ丸は建造されました。

あきつ丸は開戦直後の昭和17年1月に完成し、蘭印攻略作戦に参加します。持ち前の舟艇運用能力により各上陸作戦に活躍しています。

しかし、せっかくの飛行甲板は、神州丸と同様に発船はできても着船はできない代物で、実戦には使用されませんでした。しかし、飛行甲板や格納庫に多数の航空機を搭載できるので、洋上航法の苦手な陸軍航空隊の移動に活躍することになります。
また輸送任務中は飛行甲板に臨時の船舶砲兵隊の89式重加濃砲や98式20ミリ高射機関砲が布陣することもありました。

大戦中盤は予想任務に活躍したあきつ丸ですが、戦争も後半になると米潜の攻撃により船舶の被害が増えてきました。そこで、砲兵観測用のオートジャイロ機、カ号観測機や三式指揮連絡機を搭載し、対潜哨戒任務に活用できるようにあきつ丸は改造されました。

改装されたあきつ丸は対馬近海で対潜哨戒を行います。この時は米潜との交戦はありませんでした。その後、風雲急を告げるフィリピン戦線へ増援部隊を輸送するヒ81号船団に参加します。
この船団は同じ陸軍の舟艇母船の神州丸、摩耶山丸、吉備津丸も参加し、海軍の商船改造空母神鷹が97式艦攻を搭載して対潜哨戒に加わるなど、大規模な船団でした。
フィリピンへ向かった船団は米潜のウルフパックにつかまり、あきつ丸もクイーンフィッシュの放った雷撃により轟沈し多くの乗員と乗船者が犠牲となりました。



以前はこのあきつ丸のような船はガレージキットでしか無く、インジェクションキットなど夢のようでしたが艦これで登場したおかげでアオシマからキット化がされています。

組み立ては左右の船体を合わせる構成で、船内には大発を並べる事もできます。外からは見えませんが。
製作に当たっては、船体はカチッと組み合わさるので組み立ては簡単です。しかし、飛行甲板を支える支柱が沢山の量がありますので、しっかり部品番号を間違えないようにつけていかないといけません。
飛行甲板の白線はデカールで用意されていますが、飛行甲板が少し中心からずれてオフセットとなっているので、デカールを貼る時の位置決めが少々難しいです。

組み立ては船体の甲板は木甲板ですので、船体組み立て後木甲板を塗装し、マスキング、その後飛行甲板も塗装しマスキングして、全部上部構造物をバラのまま船体色に塗装してから、組み立てています。最後に飛行甲板のデカールを貼って、小物部品を取り付けて完成です。

あきつ丸は改装後、濃淡2色のグリーン系の迷彩塗装を施されましたが、私自身はこの商船用の迷彩は悲壮感があるので、通常の軍艦色で塗装しています。
船体が軍艦色2で飛行甲板のラテックスは軍艦色1で塗装しています。



エレベーターは飛行甲板の後ろにあるという面白い構造になっています。
後ろの砲座には88式高射砲と対潜用の中迫が装備されています。



船尾の大発用のハッチは開閉どとらかの状態を選べるパーツ構成になっています。
付属の大発は船内には入れず、他の船に使おうと思います。

舟艇母船は構造上、船内に大発用の空間があるので、雷撃を受けると即、転覆してしまい乗船部隊に大きな被害が出てしまいました。しかし攻撃を受けない状態であれば、その輸送能力は素晴らしく、各船は輸送任務に大活躍しています。



海軍の空母と比べて、かなりシンプルな船橋と煙突です。
武装も海軍に比べたら少な目ですが、陸軍の船としては標準的な装備数です。

改装後の武装は88式高射砲4門と海軍式の96式25ミリ単装機関砲8挺、中迫を1門装備し、3式指揮連絡機を8機搭載していました。



大きさ的には君川丸などの特設水上機母艦や給糧艦伊良湖などと変わらない大きさです。
発着距離の短い3式指揮連絡機でも発着船は大変そうですね。



珍しい「陸軍の空母」コレクションの中でも異彩を放ちますのでおすすめの船です。

同じ舟艇母船には神州丸、にぎつ丸、摩耶山丸、吉備津丸、玉津丸、日向丸、摂津丸、高津丸、熊野丸などがあります。これらの船もそのうち出してもらえたら嬉しいです(#^^#)




→本格海戦シミュレーションゲーム 「蒼焔の艦隊」

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2017年3月31日金曜日

練習巡洋艦鹿島 1945年時を製作

アオシマの練習巡洋艦、鹿島です。



アオシマの香取型練習巡洋艦は、昔の旧キットというと、スクラッチの芯としてしか使えないぐらいの地雷キットでしたが、リニューアルされた新キットは組み立てやすく細部も精密に再現された良キットに進化しています(^^)



鹿島は香取型の練習巡洋艦の2番艦として建造されました。建造単価を下げるために商船構造で建造されましたが、6000tの排水量の割にも堂々と見える艦型に作られています。
機関は実習に使用されることもあり、タービンとディ―ゼルの併用とされましたが、両方合わせても8000馬力しか無く、速力は18ノットに留まっています。しかし、機関が大きくない事もあり、建造費用は陽炎型駆逐艦1隻よりも安かったようです。水雷戦隊を揃えるのってお金がかかるんですね(^^;)

武装は14㎝連装砲を前後に1基ずつ、後部に89式連装高角砲を1基、煙突両舷に53㎝連装魚雷発射管を1基ずつ、25㎜連装機銃を2基、カタパルトを1基と水上偵察機を1機、儀礼用に5㎝礼砲を4門と爆雷投下台を4基と、教練用に各種装備が搭載されていました。

アオシマからは開戦時の香取、大戦後半に対潜対空装備を増強した鹿島、昭和17年に重巡に似せるためにダミー煙突を装備した香椎と3隻それぞれ特徴的な状態で発売されています。



大戦後半に生き残っていた鹿島と香椎は対潜掃討任務に就くため、魚雷発射管を下して代わりに高角砲を増設、後部甲板には爆雷投射機と投下軌道を装備しました。爆雷投射機は鹿島が4基、香椎が8基装備しており、艦尾艦内にあった実習用講堂は爆雷庫に改造されています。
その他、電探と機銃も増強されています。




鹿島として製作しましたが、見栄えの好みで香椎と同様の爆雷投射機8基としてみました。





このキットはとても組みやすく、マストを作り替えたのと、大型のループアンテナとクレーンワイヤーを真鍮線で組んで、カタパルトをエッチングと交換、爆雷投射機をピットロードのパーツを改造して設置したぐらいで、他はキットストレートで組み立てています。




鹿島は開戦時は第四艦隊の旗艦として、緒戦のグアム、ウエーキ、ギルバード、ラバウル、ソロモンなどの各攻略作戦の指揮を執り、大戦中盤は旗艦任務や輸送作戦に従事しています。
大戦後半には対潜対空装備の増強を図られ、護衛任務に就く第102戦隊の旗艦となり、屋代、御蔵、2号、33号、34号、35号ら6隻の海防艦を率いました。
僚艦の香取はトラック空襲時に空襲と米艦の砲撃で撃沈され、香椎も昭和20年に仏印沖で米機動部隊艦載機の攻撃で撃沈されてしまいましたが、鹿島は生き残り戦後の復員輸送で多くの日本人を内地へ運ぶ活躍をし、その後解体されました。

鹿島は海上自衛隊にも艦名が引き継がれ、練習艦「かしま」として現在も活躍しています。





青島文化教材社 1/700 ウォーターラインシリーズ 日本海軍 軽巡洋艦 鹿島 プラモデル 355




→アオシマ 陸軍舟艇母船 あきつ丸の製作

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