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2018年5月10日木曜日

海防艦 日振 の製作

日振型海防艦1番艦の日振です。




日振型海防艦は御蔵型海防艦を簡易型船体で建造された戦時量産型護衛艦です。

北洋警備艦として建造された占守型海防艦の大きな航続距離を一部簡略化して建造されたのが択捉型海防艦でした。しかし、武装が平射砲なので、高角砲化された御蔵型が建造されました。その御蔵型の船体をさらに簡略したのが日振型・鵜来型海防艦です。

鵜来型海防艦は新兵器の三式爆雷投射機を16基も装備していましたが、日振型は御蔵型と同じく94式爆雷投射機を3基と爆雷投下軌道を2条、艦尾に掃海具を装備しています。

1944年の6月に竣工した日振をはじめ、大東、昭南、久米、生名、崎戸、目斗、四阪、1945年4月最終艦の波太の9隻が日立造船桜島造船所で建造されました。


キットはピットロードのを製作しています。
商品名は、海防艦鵜来型(大掃海具装備型)でリリースされています。



キットは2隻セットで本体のランナー2枚と武装パーツのランナーが1枚入っています。

説明書どおり作ると、簡単に組みあがります。
しかし、そのままでは日振自体は作れません。

キットでは3連装機銃が5基装備した状態ですが、海防艦の1944年上半期竣工艦はまだ、そこまで機銃が増設されていませんでした。

6月竣工の日振もそうで、竣工時は艦橋横の3連装機銃を2基装備のみ、電探も前マストの22号のみ、艦橋前の単装機銃と対潜迫撃砲も未装備でした。

・日振と昭南はこの状態で竣工しています。
・大東以降の艦は3連装機銃を5基装備して竣工しています。
・艦尾の掃海具は4番艦久米以降は装備されず、のちに昭南と大東も撤去したようで?
・後マストの13号電探は5番艦生名以降から竣工時装備のようです。
・最終艦波太のみ後部連装高角砲にもシールドが装備されていたようです。

このへんは「日本海軍小艦艇ビジュアルガイド2護衛艦艇編」に載っていましたので、他の海防艦の製作にも参考になります。


今回は日振を3連装機銃5基、単装機銃、対潜迫撃砲、13号電探も装備して、掃海具も残したままの状態で日振改?の状態で製作しています。




船体には舷窓が開いていないのでビンパイスで開口しマストをプラ棒で作り直しています。簡易型艦首のナックルラインは再現されていないので、マスキングテープで上半分を保護して下半分をある程度削ってみましたが、あんまり効果が少なかったです(;^_^A



後部甲板は爆雷投下軌道と94式爆雷投射機を装備、フィクションで掃海具を装備したままにしています。
機銃は好みでフジミのを、12センチ連装高角砲は懐かしのピットロード旧武装パーツセット1のをオーバースケールながら力強いので使用しています。
後部高角砲座は木製らしいのでカーキで塗装しています。
前部単装高角砲の砲身はキットではイマイチなので、プラ棒で中退機も加えて再現しています。



日振は竣工後、択捉型海防艦の佐渡、松輪、択捉と対潜掃討隊を編成しヒ71船団の護衛に就きますが、同船団が米潜水艦のウルフパックに襲撃され損害を受けました。
8月22日択捉を除く、掃討隊の3隻は対潜掃討任務に向かいましたが成果なくマニラへ寄港する途中、米潜ハーダーとハッドに捕捉され日振、佐渡、松輪の3隻とも撃沈されてしまいました。

日振達は本来狩るべき敵潜水艦に3隻もいながら返り討ちにあってしまいました。その後の海防艦達の苦闘を暗示している戦いでした。

ピットロードからは占守型、択捉型、御蔵型、鵜来型、日振型、丙型、丁型と海防艦の全タイプがリリースされています。どれも細部にこだわらなければ簡単に組み立てができます。是非机上で護衛艦隊を編成して、果たせなかった船団護衛を完遂させてあげてください(^^)/



→ピット+艦NEXT戦艦大和をレイテ沖海戦時で製作

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→アオシマ 陸軍舟艇母船 あきつ丸の製作

→アオシマ  練習巡洋艦鹿島 1945年時を製作

→アオシマ 給糧艦 間宮 最終時の製作 



2016年10月10日月曜日

ピットロード 丙型海防艦 第13号海防艦 製作

終戦間際、最後に撃沈された海防艦


ピットロードの丙型海防艦です。 今回は前期型の第13号海防艦を製作しました。




丙型海防艦は不足する護衛艦艇を増やすため、大量生産に向け簡略された設計の海防艦です。丙型はディ―ゼル機関を積み、量産するため、出力は低く速度は16.5ノットしか出ませんでしたが、航続距離は6500海里あり、南方への長距離の護衛任務も可能でした。
対潜兵装は充実しており、爆雷は120発も搭載し、主砲も高角砲が装備されました。
戦時急造艦でしたので、居住性には欠けましたが、戦争後半に53隻も竣工させる事ができ、うち26隻が戦没、残存艦は引き揚げ輸送や掃海に活躍しました。

第13号海防艦は日本鋼管にて昭和19年4月3日に竣工。レイテでの多号輸送作戦にも参加しました。この時、僚艦の第11号海防艦が空爆で航行不能になり、13号海防艦が砲撃により撃沈処分しています。

その後も南方で護衛任務に活躍、南方航路途絶後は北方海域での護衛任務につきます。8月14日、護衛任務のため、第47号海防艦と合流予定のところ、47号海防艦が米潜トースクの雷撃を受け撃沈され、漂流者を救助中、第13号海防艦もトースクに雷撃され撃沈されてしまいました。近くの但馬、香住の漁師さん達に救助を受けました。 次の日に終戦で、最後に撃沈された艦艇となりました。



ピットロードの海防艦シリーズは組み立てやすく良いキットです。艦首のナックルラインは微妙に再現されておらず、ひけっぽくなってしまっています。マスキングテープでガイドして、ガシガシ削ると良い感じになります。
マストをプラ棒で作り直して、機銃はフジミのと交換しています。舷窓は箱絵を参考にビンパイスで開口しています。




艦尾には3式爆雷投射機がずらりと並んでいます。 もっと早く海防艦の数が揃って、戦術が洗練されていたら、輸送船の被害も抑えられたでしょうに。丙型海防艦は大戦末期に竣工して、急造の乗り組み員の方々が、不利な戦況でも戦い、3隻の米潜水艦を撃沈しています。




上から。中央の探照灯の台座が無しになっていたので、適当な台座に変えています。

こちらの記事もどうぞ(^^)/

→ピットロード 睦月型駆逐艦 弥生 昭和17年 製作

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→フジミ 航空母艦 海鷹 製作

→アオシマ 練習巡洋艦鹿島 1945年時を製作

→艦船模型・戦車模型の記事一覧表