タミヤの名取はフジミのWL組合脱退にともない、球磨型をベースに追加部品を加えて商品化されました。名取は戦前の状態をキット化されています。
名取は長良型軽巡洋艦の3番艦として建造されました。太平洋戦争では、緒戦のフィリピン攻略作戦や蘭印攻略作戦の支援に出撃した以降は警備任務や輸送任務に従事していました。
1943年1月に米潜の雷撃により損傷、修理時に主砲2門の撤去と12.7㎝高角砲の装備、機銃の増備などを行っています。この時、魚雷発射管を8年式の連装4基を93式4連装2基に換装した説が昔出ていましたが、現在は発射管そのままに酸素魚雷用に改造された説が有力なようです。
修理完了後、第三水雷戦隊の旗艦となり、マリアナ沖海戦にも補給部隊の護衛として参加したりしていましたが、1944年8月18日、米潜ハードヘッドの雷撃を受けサマール島付近で撃沈されました。沈没後、生存者183名はカッターに分乗し自力でミンダナオ島まで帰還したエピソードがあります。
戦前の状態を再現したキットを今回は、大戦後半仕様の長良とニコイチで製作しました。
長良は前部魚雷発射管を撤去し、後部に4連装発射管を装備した状態をモデル化していますが、魚雷発射管を換装はしていなかったようです。
名取も同様に連装発射管4基のままだったようですが、今回せっかくなので、4連装に換装した説で作ってみました。
基本ベースは長良のキットに、後部航空作業甲板の張り出しは名取と阿武隈、球磨のみ左舷に張り出しているので、名取のキットのと交換しました。タミヤのキットはこの作業甲板が鉄板張りに表現されているのが欠点です。エバーグリーンの2.5ミリピッチのプラ平棒、厚さ0.25ミリのを張って、高さ調節をして再現してみました。
21号電探も装備し、艦橋も窓をビンパイスで開口しました。
艦橋は名取のをベースにしました。長良は既存の13ミリ連装機銃座の両舷に25ミリ単装機銃座を設けたようですので、名取もこのようにしてみました。
舷窓もプラ版をポンチで打ち抜いたやつで蓋をしてみました。
レイテ沖海戦前に戦没しているので、増設機銃もそこまで多くないです。
名取のこの状態の姿もなかなか新鮮です。
名取の4連装発射管換装説の状態を作るなら、同じ航空作業甲板が左舷張り出しの阿武隈を使った方が楽そうです。前部魚雷発射管あとの兵員室も一体で成形されていますし。
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