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2017年4月23日日曜日

重巡洋艦 摩耶 昭和19年時の製作

フジミの重巡洋艦、摩耶の最終時です。



精密なモールドの特シリーズの中でも、この摩耶は重厚な上部構造物を有しているので、組みあがると中々の迫力です。

アオシマとピットロードからも摩耶は発売されています。
作り易さのアオシマと予備部品の豊富なピットロードとハイディティールのフジミと好みによって選ばれたら良いと思います。



巨大な艦橋がそのままに高角砲機銃が増設された、戦艦と見間違えられた程の重厚な艦影です。
その特徴的な姿で人気のある艦です。

特シリーズのキットは船底板が無いのでいつもはプラ板で0.8㎜かさ上げしていますが、摩耶は改装で喫水が深くなっているのを表現したく、そのままにしています。



艦橋前は機銃座と高角砲座が集中している迫力のある部分です。

このキットは部品の合わせがきつく、前のマストも調整しないときれいに取り付けれません。
甲板も魚雷発射管に干渉するのか甲板と船体にひずみが出てしまいます。
次に高雄型を作る時は注意して作ってみます。



製作している時に呉式2号射出機のエッチングに持ち合わせがなく、キットのプラパーツを使ってみましたが、墨入れするとけっこう良い感じですね。



高雄型4隻を揃えて、栄光の第四戦隊を再現してみたいです(^^)




高雄型重巡洋艦は巨大な艦橋が特徴的で、建造当時も国内外から注目を集めた艦型でした。
しかし、大きすぎる艦橋も具合が悪かったようで、開戦前に高雄と愛宕は近代化改装で艦橋の小型化と魚雷兵装や対空兵装の強化、後マストの移設、航空作業甲板の新設、バルジの装備などを実施しています。しかし摩耶と鳥海は小規模な改正のみで、ほぼ新造時のまま太平洋戦争に臨みます。

摩耶は開戦当初、フィリピン攻略作戦に参加、その後、蘭印攻略作戦、ポートダーウイン空襲に参加しています。ポートダーウイン空襲後、蘭印から豪州へ逃亡する連合軍艦船の封鎖作戦に参加し他艦と協力して英駆逐艦ストロングホールドや護衛艦ヤラ、商船7隻等を撃沈、商船数隻を拿捕する戦果を挙げています。
ミッドウエイ作戦では別動隊のアリューシャン作戦に高雄とともに隼鷹と龍驤とダッチハーバーに空襲を仕掛けました。

米軍のガダルカナル上陸を受け、摩耶ら第二艦隊も同島を巡る戦いに参加します。
第二次ソロモン海戦にも前進部隊として参加しています。
10月15日には妙高らとヘンダーソン飛行場に艦砲射撃を行い砲撃に成功しています。
南太平洋海戦にも前衛部隊として参加しています。
第三次ソロモン海戦では再びヘンダーソン飛行場に砲撃を敢行し、成功しましたが帰投中に米軍機の攻撃を受け、重巡衣笠が沈没、鳥海と五十鈴も損傷しました。摩耶にも米軍機が体当たりし損傷を受けています。

内地で修理を受け、その後北方の第五艦隊に編入され、アッツ島への増援作戦中に米艦隊と遭遇し、アッツ島沖海戦が起こりました。日本側の指揮がまずく多数の主砲弾や魚雷を消費したのに戦果はわずかで輸送作戦も失敗に終わっています。

次は再びラバウル方面に転戦します。米軍のブーゲンビル島侵攻を迎え撃つため第二艦隊の重巡部隊はラバウルに進出しますが、ラバウル入港直後に米空母艦載機の空襲を受け重巡部隊に沈没艦は出なかったものの多くの損害が出てしまいます。摩耶も航行不能になるほどの損傷を受け応急修理の後に内地へ修理に向かいました。

この損傷修理で大改装が施されます。3番主砲と12㎝単装高角砲を撤去し、12.7㎝連装高角砲を6基装備し、魚雷発射管も連装4基から4連装4基に倍増、電探と機銃も増備され、復元性確保のためバルジも増設されました。

大きな防空能力の備わった摩耶はこの後、マリアナ沖海戦にも参加します。
この海戦でも摩耶は至近弾により損傷を受けてしまいます。

マリアナ沖海戦敗退後、次の米軍の矛先はフィリピン、レイテ島に大部隊で進行してきました。
摩耶も第二艦隊の水上部隊の一員として、ブルネイを出撃、レイテ湾へ向かいますが、パラワン水道を進撃中、米潜ダーターとデースの雷撃を受け摩耶は魚雷4本が命中し撃沈されてしまいます。同時に愛宕も撃沈され、高雄も損傷を受けブルネイに後退、ただ一隻残った鳥海もサマール沖海戦で米軍機の攻撃を受け沈没し、第四戦隊は壊滅してしまいました。






→フジミ 重巡洋艦 鳥海 1944年に製作フジミ 

→アオシマ 陸軍舟艇母船 あきつ丸の製作

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2017年4月14日金曜日

陸軍舟艇母船 あきつ丸の製作

アオシマの陸軍舟艇母船、あきつ丸です。




日本陸軍は上陸作戦用の器材を研究し、上陸用舟艇の大発、小発などを開発しました。
それらの舟艇は貨物船に運ばれ、クレーンで海面に下ろしてから人員物資を積み込まなければなりませんでした。これでは迅速な上陸作戦ができないという事で、船内から人員物資を搭載したまま発進できる船が建造されました。これが世界初のドック型揚陸艦、「神州丸」でした。神州丸は世界初の強襲揚陸艦とよべるような船で、大発の迅速な発進はもとより、97式戦闘機も発進だけならできるといった能力を持っていました。しかし、実際に航空機を運用するには無理があり後日設備は撤去されました。
神州丸の成功により、陸軍は同様の特殊船を増やすことになりました。その中に航空機を運用することもできるよう飛行甲板を有した特殊船丙型としてあきつ丸は建造されました。

あきつ丸は開戦直後の昭和17年1月に完成し、蘭印攻略作戦に参加します。持ち前の舟艇運用能力により各上陸作戦に活躍しています。

しかし、せっかくの飛行甲板は、神州丸と同様に発船はできても着船はできない代物で、実戦には使用されませんでした。しかし、飛行甲板や格納庫に多数の航空機を搭載できるので、洋上航法の苦手な陸軍航空隊の移動に活躍することになります。
また輸送任務中は飛行甲板に臨時の船舶砲兵隊の89式重加濃砲や98式20ミリ高射機関砲が布陣することもありました。

大戦中盤は予想任務に活躍したあきつ丸ですが、戦争も後半になると米潜の攻撃により船舶の被害が増えてきました。そこで、砲兵観測用のオートジャイロ機、カ号観測機や三式指揮連絡機を搭載し、対潜哨戒任務に活用できるようにあきつ丸は改造されました。

改装されたあきつ丸は対馬近海で対潜哨戒を行います。この時は米潜との交戦はありませんでした。その後、風雲急を告げるフィリピン戦線へ増援部隊を輸送するヒ81号船団に参加します。
この船団は同じ陸軍の舟艇母船の神州丸、摩耶山丸、吉備津丸も参加し、海軍の商船改造空母神鷹が97式艦攻を搭載して対潜哨戒に加わるなど、大規模な船団でした。
フィリピンへ向かった船団は米潜のウルフパックにつかまり、あきつ丸もクイーンフィッシュの放った雷撃により轟沈し多くの乗員と乗船者が犠牲となりました。



以前はこのあきつ丸のような船はガレージキットでしか無く、インジェクションキットなど夢のようでしたが艦これで登場したおかげでアオシマからキット化がされています。

組み立ては左右の船体を合わせる構成で、船内には大発を並べる事もできます。外からは見えませんが。
製作に当たっては、船体はカチッと組み合わさるので組み立ては簡単です。しかし、飛行甲板を支える支柱が沢山の量がありますので、しっかり部品番号を間違えないようにつけていかないといけません。
飛行甲板の白線はデカールで用意されていますが、飛行甲板が少し中心からずれてオフセットとなっているので、デカールを貼る時の位置決めが少々難しいです。

組み立ては船体の甲板は木甲板ですので、船体組み立て後木甲板を塗装し、マスキング、その後飛行甲板も塗装しマスキングして、全部上部構造物をバラのまま船体色に塗装してから、組み立てています。最後に飛行甲板のデカールを貼って、小物部品を取り付けて完成です。

あきつ丸は改装後、濃淡2色のグリーン系の迷彩塗装を施されましたが、私自身はこの商船用の迷彩は悲壮感があるので、通常の軍艦色で塗装しています。
船体が軍艦色2で飛行甲板のラテックスは軍艦色1で塗装しています。



エレベーターは飛行甲板の後ろにあるという面白い構造になっています。
後ろの砲座には88式高射砲と対潜用の中迫が装備されています。



船尾の大発用のハッチは開閉どとらかの状態を選べるパーツ構成になっています。
付属の大発は船内には入れず、他の船に使おうと思います。

舟艇母船は構造上、船内に大発用の空間があるので、雷撃を受けると即、転覆してしまい乗船部隊に大きな被害が出てしまいました。しかし攻撃を受けない状態であれば、その輸送能力は素晴らしく、各船は輸送任務に大活躍しています。



海軍の空母と比べて、かなりシンプルな船橋と煙突です。
武装も海軍に比べたら少な目ですが、陸軍の船としては標準的な装備数です。

改装後の武装は88式高射砲4門と海軍式の96式25ミリ単装機関砲8挺、中迫を1門装備し、3式指揮連絡機を8機搭載していました。



大きさ的には君川丸などの特設水上機母艦や給糧艦伊良湖などと変わらない大きさです。
発着距離の短い3式指揮連絡機でも発着船は大変そうですね。



珍しい「陸軍の空母」コレクションの中でも異彩を放ちますのでおすすめの船です。

同じ舟艇母船には神州丸、にぎつ丸、摩耶山丸、吉備津丸、玉津丸、日向丸、摂津丸、高津丸、熊野丸などがあります。これらの船もそのうち出してもらえたら嬉しいです(#^^#)




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2017年3月31日金曜日

練習巡洋艦鹿島 1945年時を製作

アオシマの練習巡洋艦、鹿島です。



アオシマの香取型練習巡洋艦は、昔の旧キットというと、スクラッチの芯としてしか使えないぐらいの地雷キットでしたが、リニューアルされた新キットは組み立てやすく細部も精密に再現された良キットに進化しています(^^)



鹿島は香取型の練習巡洋艦の2番艦として建造されました。建造単価を下げるために商船構造で建造されましたが、6000tの排水量の割にも堂々と見える艦型に作られています。
機関は実習に使用されることもあり、タービンとディ―ゼルの併用とされましたが、両方合わせても8000馬力しか無く、速力は18ノットに留まっています。しかし、機関が大きくない事もあり、建造費用は陽炎型駆逐艦1隻よりも安かったようです。水雷戦隊を揃えるのってお金がかかるんですね(^^;)

武装は14㎝連装砲を前後に1基ずつ、後部に89式連装高角砲を1基、煙突両舷に53㎝連装魚雷発射管を1基ずつ、25㎜連装機銃を2基、カタパルトを1基と水上偵察機を1機、儀礼用に5㎝礼砲を4門と爆雷投下台を4基と、教練用に各種装備が搭載されていました。

アオシマからは開戦時の香取、大戦後半に対潜対空装備を増強した鹿島、昭和17年に重巡に似せるためにダミー煙突を装備した香椎と3隻それぞれ特徴的な状態で発売されています。



大戦後半に生き残っていた鹿島と香椎は対潜掃討任務に就くため、魚雷発射管を下して代わりに高角砲を増設、後部甲板には爆雷投射機と投下軌道を装備しました。爆雷投射機は鹿島が4基、香椎が8基装備しており、艦尾艦内にあった実習用講堂は爆雷庫に改造されています。
その他、電探と機銃も増強されています。




鹿島として製作しましたが、見栄えの好みで香椎と同様の爆雷投射機8基としてみました。





このキットはとても組みやすく、マストを作り替えたのと、大型のループアンテナとクレーンワイヤーを真鍮線で組んで、カタパルトをエッチングと交換、爆雷投射機をピットロードのパーツを改造して設置したぐらいで、他はキットストレートで組み立てています。




鹿島は開戦時は第四艦隊の旗艦として、緒戦のグアム、ウエーキ、ギルバード、ラバウル、ソロモンなどの各攻略作戦の指揮を執り、大戦中盤は旗艦任務や輸送作戦に従事しています。
大戦後半には対潜対空装備の増強を図られ、護衛任務に就く第102戦隊の旗艦となり、屋代、御蔵、2号、33号、34号、35号ら6隻の海防艦を率いました。
僚艦の香取はトラック空襲時に空襲と米艦の砲撃で撃沈され、香椎も昭和20年に仏印沖で米機動部隊艦載機の攻撃で撃沈されてしまいましたが、鹿島は生き残り戦後の復員輸送で多くの日本人を内地へ運ぶ活躍をし、その後解体されました。

鹿島は海上自衛隊にも艦名が引き継がれ、練習艦「かしま」として現在も活躍しています。





青島文化教材社 1/700 ウォーターラインシリーズ 日本海軍 軽巡洋艦 鹿島 プラモデル 355




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2017年3月19日日曜日

重巡洋艦 熊野 1944年時を製作 タミヤ改造

重巡洋艦熊野の1944年時です。



このキットは5年ほど前に製作したものです。
タミヤの熊野は15.5センチ3連装砲を装備した軽巡洋艦時代のキットで、姉妹艦の鈴谷も開戦前の状態でのキットです。
大戦後半の状態ではどちらもキット化されていないので、一部航空巡洋艦最上のパーツを流用しながら製作しています。



主砲の20㎝連装砲やシールド付き12.7㎝高角砲はピットロードの武装パーツを使用しています。
重巡高雄型用に開発されたパーツ類ですので重巡洋艦用の各種偽装品がセットされています。



軽巡時代の熊野から大戦後半の熊野への改造点は、

・主砲を15.5㎝砲から20㎝砲に交換。
・艦橋トップに防空指揮所と遮風装置を増設。
・前マストに21号電探と22号電探を装備し、電探室を増設、ループアンテナの移設。
・艦橋前の機銃座を3連装機銃2基に改修。
・後マストに13号電探と基部に機銃座を増設。
・艦橋下と艦尾に機銃座を設置。甲板に単装機銃を設置。

などを施しました。



フジミの重巡洋艦と比べるとあっさりとした感じですが、組み立てはカッチリと合いやすく作りやすいキットです。
フジミさんも、航空巡洋艦の最上はキット化しましたが、この熊野と鈴谷はなかなか出してくれませんね。大戦後半仕様で出すとけっこう需要はあると思うのですが(^^)
利根と筑摩と第七戦隊も組ませてみたいですね~



熊野は最上型軽巡洋艦の4番艦として建造されました。最上と三隈が排水量を抑えて建造され、船体強度などに無理が生じたので、改設計され鈴谷とともに鈴谷型とも呼ばれます。ボイラーも最上の10基から新式のボイラーに変更され8基とコンパクトになり吸気口なども改正されています。

最上型は揃って第七戦隊を編成し、その中でも一番新しい熊野は旗艦を務めることになります。
4艦は軍縮条約脱退後、揃って主砲を20㎝砲に換装し重巡洋艦として生まれ変わりました。
開戦時は第七戦隊は栗田少将の指揮の元、南方作戦に進出、バタビア沖海戦でも消極的な指揮で、第二小隊の最上と三隈のみが敵と戦っています。続いてベンガル湾の通商破壊作戦に参加し、多数の敵商船を撃沈しています。

ミッドウェー海戦では主力4空母が沈没後、ミッドウェー島の砲撃を命じられますが、突然の敵潜水艦発見の報で回避運動をとると、最上と三隈が衝突してしまい、最上は艦首を損傷して速力が低下してしまいます。すると栗田少将は三隈と朝潮、荒潮に援護を任せ、自身は熊野と鈴谷を率いて退避してしまいます。その後残された最上たちは米軍機の追撃を受け、三隈が沈没、最上と朝潮、荒潮は損傷を受けてしまいました。

三隈が沈没し、最上が大破し、航空巡洋艦へ改装される事になり第七戦隊は熊野と鈴谷の2隻だけとなります。第七戦隊の司令官は西村祥治少将に代わり、インド洋での通商破壊作戦に加わるべくメルギーに進出しましたが米軍のガダルカナル上陸を受けて、作戦は中止、空母部隊の第三艦隊に加わり、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦などに参加しています。

ガダルカナル撤退後もソロモンでの戦いは続き、コロンバンガラ島への輸送作戦に参加中、米軍機の雷撃を受け損傷しています。修理後はカビエンへの輸送任務に就いています。

昭和19年になると、第八戦隊の利根と筑摩が第七戦隊に編入され久しぶりの4隻編成となりました。司令官も白石少将が着任し、この編成でマリマナ沖海戦にも参加します。

レイテ沖海戦には第二部隊として金剛、榛名らとレイテ目指して進撃します。シブヤン海の空襲では被害は軽微でしたが、サマール沖で米護衛空母部隊と遭遇し追撃戦に入っている中、護衛空母機や駆逐艦の決死の反撃を受け、熊野は駆逐艦の雷撃により艦首失い単艦で退避し途中艦載機の攻撃を受けつつもコロン湾経由でマニラまでたどり着きました。

11月5日、同じように米潜の雷撃により損傷し速力の出せない青葉と商船5隻は海防艦と駆潜艇に護衛されて台湾の高雄を目指し出港しましたが、米潜のウルフパックにつかまり必死の回避運動をするも、魚雷2本が命中し、航行不能になり、2D型貨物船の道了丸に曳航してもらいなんとかサンタクルーズ港に到着しました。ここで応急修理と機関用の真水の補給を川からドラム缶で運ぶなど、本土への帰還を目指して懸命の作業が続けられましたが、11月25日、ついに米艦載機の空襲を受け魚雷5本、爆弾4発を受け、沈没してしまいました。




タミヤ 1/700 ウォーターラインシリーズ No.344 日本海軍 軽巡洋艦 熊野 プラモデル 31344



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2017年3月17日金曜日

給糧艦 伊良湖 最終時の製作 ピットロード

ピットロードの給糧艦、伊良湖です。



給糧艦は艦隊将兵への食糧や嗜好品を補給するための船です。艦隊生活では食事が唯一の娯楽と言っていい程ですので、給糧艦が入港してくると将兵の士気が大いに上がったようです。
新鮮な食料の他に、饅頭や羊羹などの甘味品、パンや豆腐、こんにゃくなどの加工品を製造する能力もあり、入浴施設や洗濯施設も備えていました。

永らく大正時代に建造された間宮が唯一の給糧艦でしたが、③計画で新たに伊良湖が建造される事になりました。伊良湖は25000人の将兵へ2週間分の食料を補給できる有力な設備を持っていました。伊良湖は開戦直前の昭和16年12月5日に竣工し、さっそくトラック諸島への補給任務に就きます。
その後は何度も本土とトラック間の補給任務に従事しました。昭和19年1月20日に米潜シードラゴンの雷撃を受けてしまいます。伊良湖は何とか沈没を免れ内地で修理を受けます。この時の艦首を深く沈めた写真がありますが、よくこの状態で沈没しなかったものです。
修理完了後、マニラへの輸送作戦につきますが、マニラも米機動部隊の空襲を受け、他の艦艇とコロン湾へ退避しますが、ここも9月24日空襲を受け、秋津洲とともに湾内で撃沈されてしまいました。



製作したのはピットロード製のキットです。就役時は艦橋両舷に25ミリ連装機銃を装備しており、マリアナ沖海戦後に中央構造物後端両舷と後部高角砲前に25ミリ3連装機銃を3基増備しています。
キットは就役時を購入して、そこには中央構造物後端両舷の機銃のみ装備とかかれていますが、正しくは艦橋両舷です。

伊良湖のキットはなかなかの曲者で、調べてみるとちょっと修正点が多すぎてきちんと作ろうとしたら甲板を作り替えなどになってしまいます(;^_^A
そこまでするのは大変ですので、キットそのままで製作しています。

主な修正点は
・艦首平面形が細すぎのようです。実際は他の貨物船のような形状です。
・艦尾は逆に太すぎで、こちらも貨物船のような形状です。
・煙突がキットでは小判型ですが楕円形のようです。
・クレーンの形状も違うようです。
・艦橋の高さも少し低いようです。
・甲板が全部木甲板張りですが、艦首艦尾が一部鉄板張りのようです。

などがあるようで、とても私の腕では修正できないので、スルーして製作しています。
このままでも、ぱっと見、伊良湖ですので(*'ω'*)
よそのブログでとても詳しく解説されている方がいらっしゃいまして、その方のブログが大いに勉強になります(^^)



煙突は燃料対策により石炭炊きになっており、背の高い煙突です。煙突前には高い無線アンテナを装備しているのが特徴です。



甲板には特徴的には2トンジブクレーンや12m糧食配給艇などが搭載されています。
前後の砲座には12センチの連装高角砲が装備されています。この連装高角砲の盾付きは珍しく、他には測量艦筑紫や砲艦橋立型、満州国の砲艦順天型など、装備例は限られています。



艦首はちょっと細すぎです。




逆に艦尾はぽってりと。



でも、そのまま作るのだと、組み立てやすいので、特徴的な姿をコレクションに加える事ができます。

最近、艦これ関連の補助艦艇を精力的に開発しているアオシマさんがそのうち新製品を出すかもしれませんね・・・秋津洲や明石もピットロードさんと被っているので。

その時には改⑤計画で建造計画がされていた、「久須見」という艦にするのも良いかもですね(^^)




ピットロード 1/700 スカイウェーブシリーズ 日本海軍 給糧艦 伊良湖 最終時 プラモデル W186




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2017年2月20日月曜日

戦艦日向 戦艦状態IF改装1944年 フジミ+ハセガワで製作

もうすぐフジミの特シリーズで戦艦時代の伊勢が発売されますね。

こちらは数年前にフジミとハセガワのキットを二個イチにして日向を製作してみた物です。



当時は戦艦時代の伊勢型はハセガワのキットしか無く、フジミからは航空戦艦時代のキットのみ出ていました。

このキットは「もし戦艦日向が航空戦艦に改装されずに戦艦のまま運用されていて、対空兵装を増強していたら・・」の状態で製作しています。

日向は扶桑型戦艦の改良型である伊勢型戦艦の2番艦として三菱長崎造船所で大正7年に就役しました。軍縮条約で八八艦隊の高速戦艦群が建造中止になってしまった結果、長門型につぐ主力戦艦として数度の改装を重ねられました。

太平洋戦争開戦時は伊勢、扶桑、山城とともに第一艦隊第二戦隊を編成していました。昭和17年
5月に訓練中、五番砲塔の爆発事故により損傷を受けます。この時の爆発事故の映像は、偶然ニュース映画に収録されています。当時の検閲は何を見ていたんでしょうね(;^_^A

5番砲塔の後に応急処置で25ミリ3連装機銃を4基搭載してミッドウエイ海戦に出撃します。
しかし機動部隊の主力4空母が撃沈され、作戦は失敗に終わり、戦艦部隊も何も会敵しないまま撤退しました。

主力空母4隻の損失に大慌てになった海軍は、保有艦艇の空母化を多数検討します。開戦以来出番のなかった戦艦の中でも、空母に随伴して活躍している金剛型は対象外、大和型につぐ40㎝砲搭載の長門型も除外、低速で36㎝砲搭載の伊勢型、扶桑型が検討されました。なかでも伊勢型は日向が事故で五番砲塔を失っているので、この2隻が改造される事になりました。

しかし全通甲板の空母に改装するとなると上部構造物の撤去を含め、工事期間がかかりすぎてしまいます。そこで、艦後半部に航空施設を設け、発艦のみとし、収容は他の空母に任せる航空戦艦として改装される事になりました。この改装は18改装と呼ばれ建造中止になった大和型戦艦4番艦の資材を利用して昭和18年11月に改装工事が完了しました。

6基12門あった主砲は4基8門に、副砲は全門撤去されましたが、代わりに12.7㎝高角砲は4基8門から8基16門に倍増し機銃も3連装機銃を多数搭載、航空機も22機搭載できるようになりました。
伊勢と日向の搭載航空隊は第634航空隊の瑞雲と彗星を予定していましたが、訓練中に起きた台湾沖航空戦に航空隊は投入されてしまい、レイテ沖海戦には搭載機無しで出撃することになりました。

レイテ沖海戦では米機動部隊を北方へ誘い出し、栗田艦隊のレイテ突入を援護する囮部隊として小沢機動部隊の一員として参加しました。空母瑞鶴ら4空母も搭載する航空機は定数の半分以下でした。日向と伊勢は搭載機は無いものの、持ち前の強力な対空火器で空母を護衛することになります。10月25日、小沢部隊は米機動部隊の大規模な空襲を受けます。攻撃を受けながらハルゼーの米機動部隊に主力機動部隊と思い込ませ、北方へ誘い出すことに成功します。しかし猛攻撃により歴戦の空母瑞鶴をはじめ瑞鳳、千歳、千代田の4空母は撃沈されてしまいます。残った航空戦艦も仕留めようと日向と伊勢に攻撃は集中していきますが、両艦とも巧みな操艦により全弾回避、逆に多数の敵機を返り討ちにする戦果を挙げています。

レイテ沖海戦敗退後、シンガポールに進出していましたが、昭和20年に入るといよいよフィリピン全土も失陥目前で南方航路も途絶してしまいそうになります。そこで残存艦艇に詰めるだけ戦略物資を積み込み本土に帰還する北号作戦が行われます。
制海権、制空権の無い中、危険な作戦で成功は危ぶまれましたが2月10日、旗艦日向と伊勢、軽巡大淀、駆逐艦朝霜、霞、初霜の6隻で内地へ向け出港しました。

途中、合計26隻もの米潜のウルフパックやB24数十機の襲撃に見舞われましたが、スコールに逃げ込んだり、巧みな操艦で回避したり、時には主砲の射撃で撃退したりとし、2月20日、全艦無事に呉に到着できました。

しかし本土に帰りつけても、もはや動かせる燃料も無く、特殊警備艦に指定され呉軍港で浮き砲台となります。7月24日、米機動部隊の大空襲により多数の命中弾を受け大破着底し終戦を迎えました。



せっかく航空戦艦に改装されたものの、肝心の航空機を実戦で1機も敵に向けて発艦することが叶わなかった日向ですが、改装されて向上した防空力と搭載力で別のところで活躍できました。

以前に製作した日向は、もし航空戦艦に改装されずに、大戦末期に対空兵装を増強していたら・・という姿で製作しています。

フジミとハセガワのキットを2個イチとフジミ航空戦艦伊勢用のエッチングを用いています。

船体はハセガワの日向を用いています。艦橋や煙突の基部だけ部品を削り取り、フジミのパーツをそのまま移植しています。

艦橋と煙突周囲はフジミの航空戦艦そのままで組み立てています。



甲板と艦橋周りの木甲板がメーカーの表現の差がありますが、そこまで目立たないです。

副砲は片舷4門ずつに減らしています。7、8番高角砲は航空戦艦では一段低く穴が開いていますが、戦艦時代のキットだと開いていないのでハセガワのキットの3、4番高角砲座がブラスト除けもついているので使用しています。

ただでさえ3、4番主砲を背負い式に装備して、艦内容積が少なくて居住性の悪かったのが高角砲増設でさらに悪化してそうです(;^_^A



後部艦橋はハセガワのキットを使用し、後マストと機銃座はフジミのキットを使用しています。
後マストのクロスツリーはエッチングパーツです。

6基ある主砲のうち、4基はフジミの伊勢のを、残る2基は雰囲気を合わせるためジャンクにあったフジミの金剛の主砲を使用しています。

以前に製作していた、この日向、棚から出して、破損個所をリフォームしてみました。対空兵装を増強した戦艦状態の日向、なかなかカッコいいです。日本海軍の戦艦の基準だと高角砲も増設しても6基まで(金剛型や長門レイテ沖後)ですが、エンガノ岬沖海戦の勇戦を讃えて8基装備してみました。今度発売される戦艦時代の伊勢を、レイテの長門に準じた対空兵装で製作して並べてみたいです(^^)/ それに山城と扶桑を並べたら・・・ご飯3杯は食べられそうです(^^)

戦艦日向 1944年10月

基準排水量36500t 公試排水量41000t 速力25ノット
36㎝砲12門 14㎝砲8門 12.7㎝高角砲16門 25㎜機銃78挺





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