2025年5月30日金曜日

1式中戦車の製作 ファインモールド 1/35

 ファインモールドの1式中戦車が完成しました。

ファインモールドの1式中戦車は同社の日本軍車両の中でも初期のころにリリースされたので、隙間やモールドが若干甘いなどがありますが、組み立ては容易で1式中戦車の勇姿が再現できます。当初はゴム製ベルトの履帯でしたが、プラ製の連結式履帯にリニューアルされています。


組み立てはキットストレートでクレオスの枯草色、草色、土地色の後期迷彩色で塗装しています。全体にウオッシングと足回りにタミヤのテクスチャーペイントで泥汚れを、全体にウエザリングマスターで土ホコリ汚れをしています。


この1式中戦車チヘは、前モデルの97式中戦車チハと後の改良型の3式中戦車の陰に隠れて知名度は薄い車両です。

詳しくない人からしたら、1式中戦車と同じ47㎜砲装備の新砲塔97式中戦車チハ改との区別は付かないのではないでしょうか。


一式中戦車チヘの97式中戦車チハ改からの改良点は

・車体が97式のリベット式から溶接式になり被弾時の乗員への被害が軽減。

・最大装甲圧がチハの25㎜から50㎜に強化。

・砲弾搭載数が20発増加。

・エンジン馬力が170馬力から240馬力に向上。

・砲塔の乗員が2名から装填手が加わり3名になって車長が指揮に専念できる。

・主砲に電気式撃発装置が追加された1式47㎜戦車砲Ⅱ型に変更された。

等の改良が加えられています。


しかし、太平洋戦争では戦車より航空機や船舶の生産にリソースが割かれ、1式中戦車が量産されだしたのが昭和18年に入ってからでした。性能もチハ改と比べて全体的に能力向上していても攻撃力は同じなので優先順位は低そうです。

この頃には米軍は75㎜砲装備のシャーマン戦車を配備しており、47㎜砲装備の1式中戦車は量産開始とともに陳腐化してしまいます。

1式中戦車の車体に90式75㎜野砲を装備した3式中戦車が開発される事になります。


攻撃力自体も新砲塔チハと同じで、生産された車両は内地の部隊に配備されたので実戦経験無しで終戦を迎えています。大戦末期のフィリピン戦では1式中戦車が実戦配備されたとなっていましたが、現場部隊が新砲塔チハを1式中戦車と呼称していたのが混同されているようです。


1式中戦車が「1式」の年代から生産されていたら、初戦のフィリピン戦やビルマ戦でM3スチュワートを撃破して弱い日本軍戦車のイメージが払拭されたのにと思います。実際は新砲塔チハさえもM3戦車との対決には間に合ってませんでした。

個人的には、この1式中戦車が日本軍の戦車としてはバランスの取れた外観をしていてけっこう好きな車両です。



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サイパン戦関連の書籍紹介

今まで艦船模型を作っていたので海軍の書籍などはよく読んでいていましたが、今回のサイパン戦がテーマの模型を作るにあたり、関連書籍をいくつか読んでみました。

サイパン戦は民間人の方々を巻き込んだ凄惨な戦いで、見るのもしんどい場面もありますが、戦いの経緯、経過、敗因、そして日本統治時代の開拓や島の発展、敗戦によりすべてを失うなどが知ることができました。


● サイパン肉弾戦:玉砕戦から生還した参謀の証言

平櫛孝著

著者の平櫛孝氏はサイパン守備隊の第43師団の参謀としてサイパンの防衛戦を戦い、最後の総攻撃参加時に負傷し米軍の捕虜となり生還され、後年本書を執筆されています。

師団司令部から見たサイパン戦が綴られています。5月19日、住民の歓呼の声に迎えられて師団主力が上陸したものの、僅か1ヶ月半後には玉砕の運命をたどりました。しだいに米軍に押されていく戦闘経過は見ていて陰鬱な気分になりますが、本書ではサイパン戦の起きた背景や防衛準備、米軍の上陸からの戦闘の経緯が書かれ、サイパン戦の内容が理解しやすいです。

資材不足や築城の時間が無く防衛体制が不十分の中で奮戦された守備隊に対し、大本営からは自分たちの判断ミスでマリアナの防衛体制を整えるのが遅かったのに「現場の努力不足だ!」と叱責するのは現代の社会でもままあることだと感じます。



 ●新版 戦火と死の島に生きる

菅野静子著

著者の菅野静子さんはテニアン島の開拓移民として幼い頃山形県から移住され、一家で大変な苦労をされながらも生活が安定し、著者も学校卒業後サイパン島の貿易会社で就職、そんな時に米軍のサイパン上陸に巻き込まれます。

米軍の攻撃により次々と周りの方の命も失わられていく中、野戦病院に看護婦として志願し傷病兵の看護にあたられます。著者の献身的な看護で心が救われた負傷兵も多かったでしょう。運良く生き残れた著者は収容所でも看護師として働き沢山の人を救っています。

文章も読みやすく、当時の年代の近い著者が必死に生き延びた体験を知ってもらえればと中高生の方にも是非読んでいただきたい一冊です。

そして、著者のお母さまは米兵より強い!



● 日本領 サイパンの一万日

野村進著

第一次大戦後、日本の国連信託委任統治領となったサイパン島をはじめ南洋諸島、敗戦で失うまでの一万日の軌跡を二つの家族の物語を軸に書かれています。

開拓当初はサトウキビの不作や移民の待遇の悪さなど、かなりの苦労を重ね、次第に町が発展していき南洋興発の事業も軌道に乗りサイパン島は砂糖の一大産地として栄えます。

しかし、戦局が悪化し、遂に米軍が上陸し、苦労して築き上げたサイパンの街並みもインフラも破壊されてしまいます。辛苦に耐えようやく安定してきた暮らしが消えてゆきます。

この後も迫りくる米軍からの逃避行が描かれ読んでいて息苦しくなる場面が多々あります。

そして終戦を迎え、日本領としてのサイパンの1万日は終わりを告げます。

ページ数も多く読むにもかなりの時間の必要なノンフィクション大河小説です。日本統治時代の良い面も悪い面も両方描かれていて戦前の南洋統治に興味のある方にはお勧めです。


●タッポーチョ 太平洋の奇跡

ドン・ジョーンズ著 中村定訳

竹野内豊主演で映画化された「太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男」の原作です。

米軍として従軍した著者がサイパンでの最後まで抵抗を試みた部隊を率いる大場大尉に感銘を受け執筆された作品です。

映画は以前見たことがあり、原作との場面が違う箇所もあり見比べて見るのも良いと思います。映画ではあまり描かれていなかった大場大尉の心情なども見ることができます。

正直、冒頭のジョーンズ氏が大場元大尉邸に尋ねる場面などの日本語訳がひどすぎて読むのがきびしいかな?と思ってしまいましたが、サイパンでの大場大尉のパートでは比較的読みやすかったです。



 ●サイパン戦車戦 戦車第九連隊の玉砕

下田四郎著

著者はサイパン戦で玉砕した戦車第9連隊の生き残りです。

入隊後、満州で過酷な訓練を行い技量を高めた著者たち戦車連隊の将兵に南方への進出が命じられます。極寒の大地から常夏の島嶼への移動、戦車壕が完成してようやく休暇といった時に米軍が来寇し、不利な状況で精鋭部隊も一晩にして壊滅しました。サイパン玉砕後の過酷なジャングル生活、投降後の収容所生活も記述されています。

戦車戦は数時間で終わってしまったのでサイパンでの戦闘自体の内容は少ないですが、戦後著者がサイパンで出会った朽ち果てた97式中戦車と出会い、幾多の困難を乗り越えて日本への帰還を成功させるまでの道のり、共に戦った戦友と戦車への想いには心が打たれます。

戦後の収容所での米兵との良好な関係を見ていると、つくづく戦争以外の解決策はできなかったのかと感じます。




 ●サイパン機動防御戦 一式砲戦車激闘譜

陰山琢磨著

珍しい日本軍戦車の仮想戦記です。

九七式中戦車の車体に九九式88ミリ高射砲を備えた一式砲戦車が開発され、搭載砲の威力は強力だけど操作は難しいこの車両で圧倒的物量のサイパン侵攻部隊に防御戦を展開する話です。

史実よりも早く戦略を防衛に変え、より強固な陣地を備えたマリアナ諸島で、史実より少し良い兵器を装備した日本軍が米軍を迎え撃ちます。

上陸時の艦砲射撃は創作ものとはいえ恐ろしいものがあります。サイパン全島の築城やチハから1式砲戦車への改造などの準備作業や米軍上陸後の息の詰まる攻防戦などが見どころです。



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→サイパン戦車戦ジオラマの製作


2025年5月21日水曜日

サイパン戦車戦 昭和19年10月 四式中戦車咆哮ス

 ようやく日本軍戦車のジオラマが完成しました。

初めて作る戦車ジオラマで、試行錯誤しながら何とか完成です。


「サイパン戦車戦 昭和19年10月」

昭和19年10月15日夕刻、早朝より上陸を開始した米軍の橋頭保へ向け歩兵部隊と共にヒナシスの丘陵地よりオレアイへ、逆落としに突撃を敢行する戦車部隊、といったテーマで製作しています。

サイパン戦で10月?と思われるでしょうが、史実のサイパン戦は6月15日に米軍の上陸が始まっていますが、米軍も当初は1944年10月にマリアナ諸島の攻略を計画していました。しかし、ギルバート、クエゼリン、エニウェトクの攻防戦、トラック島への航空攻撃、その後のマリアナ、パラオへの航空攻撃などで日本軍の抵抗が予想以上に弱く、作戦計画は6月に前倒しになりました。

日本側も米軍のサイパンへの侵攻は10月と予想し防備が遅れていました。守備隊主力の第43師団が到着したのが米軍上陸直前の5月20日でした。住民の歓呼の声の中市街地を行進していた師団が、そこから僅か1ヶ月半で玉砕の運命をたどっています。

今回のテーマは、「もしサイパンの防備が強固に準備され、米軍上陸部隊撃滅へと突撃する戦車部隊と歩兵部隊」です。

今回の主役は4式中戦車です。

史実の4式中戦車は終戦まで試作車両2両の完成にとどまった戦車です。

陸軍の戦車開発生産は航空機や船舶の生産が優先され、常に後回しになっていました。

もし、「昭和19年中に4式中戦車や3式中戦車が完成していたら・・」の設定で製作しています。


昭和19年の夏より量産の開始された4式中戦車、その試作車両2両が決戦の地サイパンへ送られましたという設定で。

4式中戦車と共に海軍陸戦隊も軍刀や銃剣を振りかざして突撃中です。



はじめは4式中戦車を1両配置するつもりでしたが、ジオラマベースを広く作ってしまったので何だか間延びした感じでしたので・・



もう一両戦車は配置してみました。3式中戦車を置きたかったのですが、再販前で売っていなかったので完成手前の1式中戦車を仕上げて置いています。


史実では1式中戦車も内地以外配属されず戦闘を経験すること無く終戦を迎えています。

実際のサイパン戦では戦車第9連隊は97式中戦車改と97式中戦車と95式軽戦車で戦っています。正確な射撃をM4シャーマンに撃ち込んでも弾きかえされたようです。


99式軽機関銃を射撃中。こんなところで伏せていたら戦車に轢かれてしまいそうです(;^_^A



道路を戦車と歩兵が密集してしまっていて艦砲をくらったら壊滅してしまいそうなレイアウトになってしまっていますが、次回作は配置をもっと工夫してみます。


今回のジオラマベースは戦車は固定しておりません。

戦車は自由に配置を変えられます。


史実のサイパン戦のように97式中戦車チハと95式軽戦車ハ号を置いてみました。


タミヤの恐竜セットのトリケラトプスを置いてみたりも。恐竜さんも援軍に参加してくれます。


四式中戦車咆哮ス サイパン戦車戦




在留邦人も疎開し全島を要塞化したサイパンに昭和19年10月12日、800隻もの大艦隊で米軍侵攻部隊が来寇、3日間で9000トンの砲爆撃を加え15日早朝より米海兵隊第二師団と第四師団が上陸を開始する。

強固なべトンで防御された水際陣地では艦砲射撃の損害も少なく、隠蔽られた砲兵陣地と併せて上陸用舟艇やLVT多数を撃破し死傷3000を超える大損害を与え、米軍は戦車揚陸艇を接岸させるなど強引に橋頭堡を確保するも海岸線300mから前進ができなかった。

15日夕刻、米艦載機が活動を終えるころ、陣地転換した15㎝榴弾砲装備の野戦重砲第9連隊第2大隊や独立山砲兵第3連隊、臼砲第14大隊、野砲兵第10連隊第三大隊、噴進砲第2大隊などの砲兵隊が米軍橋頭堡を攻撃し大打撃を与えます。

米軍上陸部隊が大混乱に陥ったところを、戦車第9連隊は歩兵136連隊ととも4式中戦車を先頭に突撃を敢行、長砲身の75㎜砲でM4シャーマンやアムタンクを多数撃破し、米軍陣地を蹂躙するも、次第に沖合からの艦砲射撃が激しくなり、転進に移ります。

以降は複数の予備陣地を機動しながら連合艦隊来援まで持久戦を戦う事になりました・・・



※史実では五島連隊長が16日早朝に戦車隊単独での攻撃を提案しましたが、歩兵との共同攻撃を指示されたものの歩兵部隊の集結が遅れ17日の夜中にずれ込んでしまいます。

この遅れは致命的で米軍は多量のバズーカ砲をはじめ物資を揚陸し日本軍の夜襲に万全の態勢で待ち構えていました。戦車連隊は不慣れな夜襲に加え、強力なM4シャーマン戦車やバズーカ砲、猛烈な砲撃により1両を残して全滅してしまいました。


充分な陣地構築や戦車と歩兵の連携の訓練などが行われていたら史実とは違った戦いになっていたかもしれません。


今回のジオラマ製作にあたって、サイパン戦関連の書籍をいくつか読んでみました。
あの島でどのような事が起きていたのかが知れました。

次回作は、途中で止まっていた日本軍の補給基地のジオラマの製作を進めていきたいです。



 →戦車ジオラマ製作その① 土台作り

→戦車ジオラマ製作その② テクスチャーペイントで地面作り

→戦車ジオラマ製作その③ テクスチャーペイントで草地作り

→戦車ジオラマ製作その④ 紙でバナナの木を作る

→戦車ジオラマ製作その⑤ 銅線で木を作る

→戦車ジオラマ製作その⑥ 草地の色を変更

→戦車ジオラマ製作その⑧ 和巧の紙創りで草を植える

→4式中戦車試作型を3色迷彩で製作


→模型記事一覧

2025年5月15日木曜日

ドラゴン 日本陸軍兵士 硫黄島1945 の製作

 今回のジオラマに配置する歩兵のキットで最後になるのは、ドラゴン社製の「日本陸軍兵士硫黄島1945」です。


拳銃を構えて指示を出す下士官、壕から銃を構えて出ようとしる兵3人のキットです。


14年式拳銃を構え、軍刀も抜刀している下士官。首の位置が拳銃と同方向に向かせたかったのですが真正面を向いてしまってます。

96式軽機関銃を構え、飛び出ようとする兵士。同社ペリリューのキットに入っていた99式軽機関銃に比べ、良い出来になっています。

小銃を構える兵士。


もう一人の小銃兵。前かがみ気味になってしまいました。

こちらもジオラマに配置してみました。

このドラゴン社製硫黄島1945のキットは良い出来なのですが入手が国内メーカーに比べて難しいです。

これでジオラマに配置する歩兵部隊は完了です。

後は戦車を配置していよいよ完成となりそうです!



 →戦車ジオラマ製作その① 土台作り

→戦車ジオラマ製作その② テクスチャーペイントで地面作り

→戦車ジオラマ製作その③ テクスチャーペイントで草地作り

→戦車ジオラマ製作その④ 紙でバナナの木を作る

→戦車ジオラマ製作その⑤ 銅線で木を作る

→戦車ジオラマ製作その⑥ 草地の色を変更

→戦車ジオラマ製作その⑧ 和巧の紙創りで草を植える

→戦車ジオラマ完成 「サイパン戦車戦昭和19年10月」

→4式中戦車試作型を3色迷彩で製作

2025年5月14日水曜日

風物詩シリーズ 行水 のキットレビュー

 今回はマイクロエースの1/32 風物詩シリーズNO.21 「行水」のキット紹介をしてみます。

風物詩シリーズは、河合商会から発売されていた日本の懐かしい風景を再現したジオラマ風プラモデルのシリーズです。河合商会が倒産してからはマイクロエース(アリイ)が金型を引き取り現在もちょくちょく再版されているロングセラー商品です。


1/35の日本軍のジオラマを作っていて、この行水のキットには昭和な小物がたくさん入っているので何か使えないかと購入してみました。

「べ、別に行水中のお姉さんが気になったからじゃないですからね!」


それではキットを見ていきます。


箱を開けるとすべてのランナーがひとつの袋に入っています。


まずは、このキットのメイン!?である行水中のお姉さんの入っているランナー。

お姉さんの他に行水用の大きなタライ、バケツ、桶、、ニワトリ、竹籠、カマド、七輪などが入っております。

行水中のお姉さんは、なかなかのバリがついています。



リヤカーと木箱、梯子、リヤカーを運ぶおっちゃん。


お地蔵さんと井戸と手押しポンプ、格子戸とワンちゃん。
このランナーが一番バリがきついですね。


板塀や電柱、郵便ポスト、物干しざお、ドラム缶。



ベースになる台と柿の木、枝に実がついています。
洗濯物や板塀に貼る広告などは紙製です。

古いキットなのでバリがある部分もありますが、丁寧に処理をして、ジオラマ用の素材と混ぜて作ると面白そうな情景キットに出来そうです。

懐かしの昭和の小物類が沢山入っているので、組み立てて、1/35のキットと比較して使えそうかも紹介していきたいです。



タミヤ 日本陸軍歩兵セットを製作

 今回もジオラマ用に製作した歩兵キットの紹介です。

タミヤのベテランキット、日本陸軍歩兵セットです。

1976年発売のベテランキットです。長らく1/35の日本兵のキットで手軽に入手できる唯一のキットでした。今では数社のメーカーから新キットが発売されていますが、隣においてもまだまだ遜色ない出来の傑作キットです。

4人の日本兵に鉄帽4つと防暑略帽2つが入っています。今回はもうひと箱から防暑略帽を拝借して略帽3人、鉄帽1人で作っています。

軍刀を持った下士官。かがんで突撃開始命令を出そうとしています。

膝立ちで38式小銃を射撃中の兵士。

小銃を携え、背をかがめている兵士。

89式重擲弾筒を携え中腰で移動する兵士。腰には擲弾筒の砲弾を入れたポーチを付けています。

ジオラマに配置してみました。

このタミヤのキットも他社のキットもほとんどが4人セットで下士官1名、兵3名の組み合わせが多いですね。作っていると下士官の比率が高くなってきます。

タミヤの日本兵のキットはこのベテランキットが出てから、会議中の将校セットは出たものの、戦闘中の日本兵の新キットは出ていません。

ドラゴンの軽機関銃班のキットは入手が大変なので、タミヤかファインモールドから軽機関銃班のキットが出てほしいものです。














 →戦車ジオラマ製作その① 土台作り

→戦車ジオラマ製作その② テクスチャーペイントで地面作り

→戦車ジオラマ製作その③ テクスチャーペイントで草地作り

→戦車ジオラマ製作その④ 紙でバナナの木を作る

→戦車ジオラマ製作その⑤ 銅線で木を作る

→戦車ジオラマ製作その⑥ 草地の色を変更

→戦車ジオラマ製作その⑧ 和巧の紙創りで草を植える

→戦車ジオラマ完成 「サイパン戦車戦昭和19年10月」

→4式中戦車試作型を3色迷彩で製作

マスターボックス 日本海軍陸戦隊 タラワ 突撃シーン&肉兵戦 を製作

 戦車ジオラマに設置する歩兵のキットを製作しています。

今回はマスターボックスの日本海軍陸戦隊 タラワ1943年 突撃シーンと肉兵戦を製作しました。

突撃シーンのキットは陸戦隊員4人がセットされています。

まずは軍刀を振りかざして突撃する下士官。叫びながら突撃しています。

小銃を構えて突撃する陸戦隊員。小銃には日章旗に寄せ書きを書いたものを付けて突撃しています。

突撃中に撃たれてのけぞる陸戦隊員。撃たれた日本兵のキットはこちらが唯一?でしょうか。

最後は小銃を手に持ち走る陸戦隊員です。


続いてタラワ、肉兵戦セットから陸戦隊員2名です。こちらのセットは米軍陣地に銃剣突撃する陸戦隊員2名と迎えうつ米海兵隊員3名のセットです。今回は陸戦隊員のみの製作です。

銃剣で突撃する陸戦隊員。めっちゃピンボケしていて申し訳ないです。

銃剣を振りかざし米陣地に飛び掛かる陸戦隊員。


ジオラマベースに配置してみました。
軍刀を振りかざした下士官に続き、突撃をかける日本海軍陸戦隊。

今回は撃たれたニキは突撃中に戦死は気の毒なので使っておりません。

海軍陸戦隊は5名設置してみました。

次回も製作した歩兵を紹介していきます。
















 →戦車ジオラマ製作その① 土台作り

→戦車ジオラマ製作その② テクスチャーペイントで地面作り

→戦車ジオラマ製作その③ テクスチャーペイントで草地作り

→戦車ジオラマ製作その④ 紙でバナナの木を作る

→戦車ジオラマ製作その⑤ 銅線で木を作る

→戦車ジオラマ製作その⑥ 草地の色を変更

→戦車ジオラマ製作その⑧ 和巧の紙創りで草を植える

→戦車ジオラマ完成 「サイパン戦車戦昭和19年10月」

→4式中戦車試作型を3色迷彩で製作

2025年5月6日火曜日

ドラゴン 日本陸軍歩兵 ペリリュー1944年 を製作

 今回はジオラマに置く日本陸軍歩兵のキットの紹介です。

ドラゴン社製、日本陸軍歩兵ペリリュー1944年です。

99式軽機関銃を装備した軽機班です。

日本軍の歩兵部隊は軽機関銃を重用していましたが、国内メーカーからは軽機関銃装備の歩兵のキットは発売されていません。

インジェクションキットだとドラゴン社製のこのペリリュー1944年の99式軽機関銃と同社の硫黄島1945の96式軽機関銃のみですが、常に流通しているわけではありません。

最近では3Dプリンターで出されている商品もありますが、やはりファインモールドさんかタミヤさんにインジェクションキットで出してほしいです。


それでは、現状貴重な軽機関銃班のキットを紹介していきます。


まずはメインの軽機関銃手を。

伏せ撃ちをしているポーズです。肝心の99式軽機関銃の出来は、正直もっさりとしています。

銃剣がついているところは良ポイントですが。同社の96式軽機関銃は良い出来なのに残念な使用になっています。これは3Dプリンターキットに置き換えた方がよさそうです。

続いて、弾薬手。予備のマガジンを手にしています。

うちの子が、スマホで隣の人を撮っている人と呼んでいました(;^_^A


続いて軽機関銃班を指揮する下士官さん。94式拳銃と軍刀を備え、目標を指向しています。


弾薬手さんその2? ヒザ立ちして小銃で援護しています。



ジオラマベースに設置してみました。部隊の進撃を援護する軽機班です。

次回は別の歩兵キットを紹介していきます。

 →戦車ジオラマ製作その① 土台作り

→戦車ジオラマ製作その② テクスチャーペイントで地面作り

→戦車ジオラマ製作その③ テクスチャーペイントで草地作り

→戦車ジオラマ製作その④ 紙でバナナの木を作る

→戦車ジオラマ製作その⑤ 銅線で木を作る

→戦車ジオラマ製作その⑥ 草地の色を変更

→戦車ジオラマ製作その⑧ 和巧の紙創りで草を植える

→ドラゴン 日本陸軍兵士 硫黄島を製作

→戦車ジオラマ完成 「サイパン戦車戦昭和19年10月」

→4式中戦車試作型を3色迷彩で製作