駆逐艦天津風がもし、本土に無事帰還し修理を行えた状態を製作してみました。
天津風は陽炎型駆逐艦の9番艦として建造され、機関には次期主力駆逐艦としての丙型駆逐艦(島風)用の高圧缶を試験的に搭載されています。
太平洋戦争では第二水雷戦隊に所属し南方攻略作戦、ミッドウェー海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦などを戦っています。
1944年1月、雪風と共に軽空母千歳、タンカー船団を護衛しシンガポールを目指しますが、1月16日米潜レッドフィンの雷撃を受け天津風は船体前半を失い、漂流してしまいます。
救難信号を出しましたが海図が無い為100浬違う位置を知らせてしまい、友軍に発見されるまで1週間も漂流していました。その後、曳航され仏印のサイゴンにて応急修理を行い11月15日よりシンガポールで消失した前部船体切断部に応急艦首を備え仮説の艦橋とマストを備えました。
貴重な高性能機関を搭載した天津風を本格修理するため、舞鶴海軍工廠で艦首と罐を新たに作ることになります。
天津風は1945年3月17日、本土で石油を送還する南号作戦のヒ88J船団に加わり本土を目指しますが米軍の潜水艦とB25やB24の攻撃により次々と船団は撃沈されてしまいます。
ようやく寄港した香港よりホモ03船団に加入し再び本土を目指しますが、B25爆撃機隊の執拗な攻撃により天津風も損傷後アモイで擱座し爆破処分されました。
Wikipediaより画像引用 B25と対空戦闘中の天津風
仮艦首により大きな波を立てる天津風を米軍機は速力を誤認し照準を外す効果もありました。
今回は、「もし天津風が本土で修理がされていたら」の状態を製作してみました。
米潜に雷撃されたのが仏印近海では無く設備の整ったシンガポールの近くだと、修理も短く済み、本土へ早く帰れていたかもしれません。
ハセガワのリニューアル版駆逐艦朝霜が出たため御役御免になってしまった(艦尾が垂直なので)ピットロードの朝霜のキットを使って製作してみました。
中央の黄色のマスキングテープより前部が損失した船体になります。
艦首を海防艦のように直線的に削り、艦橋を松型のような箱型にし防空指揮所も設けてみました。船外電路は復旧せず、後部の舷窓は閉鎖した状態としてみました。
1番煙突横の予備魚雷格納函と積み込み用スキッドビームは取り付けず、代わりに夕雲型と同じように3連装機銃座を設けました。
旧2番砲跡は他の陽炎型と同じく3連装機銃座2基に換装しています。
備砲は、89式12.7㎝高角砲を装備してみたくなりますが、この時期に兵器の不足が予想されるので、残存していた2番3番主砲を前後に装備しています。
天一号作戦に参加した駆逐艦が艦尾に3式爆雷投射機を増設していたようなので、94式投射機の後ろに装備してみました。