ラベル フジミ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル フジミ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年6月14日水曜日

フジミの駆逐艦秋月を1944年時で製作

2年前に製作したフジミの特シリーズ秋月です。キットでは竣工時ですが機銃増設後の1944年時で製作しています。



フジミの秋月は秋月と照月の2隻セットとなっています。
とても精密なキットですが、竣工時の秋月、照月としてしか作れずに他の年代への製作には改造が必要です。

秋月型は他のメーカーからはアオシマとピットロードからも発売されています。両社ともバリエーション展開で前期型や後期型を作り分けれるようになっています。秋月型は個艦ごとの差異があり、共用部品では厳密には作り分けは難しいのでメーカーさんにも難しい艦です。

この秋月は竣工時のキットから電探や機銃の増設された1944年の状態を製作しています。
基本部品はフジミのキットで組み立てて、増設銃座や電探などはピットロードのパーツやジャンクパーツから取り付けています。



船体の舷窓は竣工時は全部空いていましたが、大戦中、不沈化対策のため多くが閉鎖されています。その閉鎖された窓には0.3㎜プラ板を打ち抜きポンチで打ち抜いた蓋を貼りつけています。



前部マストは竣工時のまっすぐなマストから電探装備用に改正されています。
ここはマスト基部はキットのパーツを使い途中で切断、電探架台とマストトップはプラ材で自作しファインモールドの21号電探を付けました。

煙突横の増設機銃はピットロードの涼月の余剰部品から、艦橋横の単装機銃の防弾版は特シリーズの雪風の余剰部品からそれぞれ取り付けています。



後マストには13号電探を。後部高射装置跡の機銃座はジャンクパーツから。艦尾には爆雷投下軌道や単装機銃を増設しています。



秋月は空母機動部隊の直衛用の艦として④計画で建造された秋月型のネームシップです。
ミッドウエイ海戦で空母4隻を失った直後の昭和17年6月11日に竣工しています。
竣工後、即空母部隊の護衛任務に就くことになりました。
第二次ソロモン海戦には合流が間に合わず不参加、その後輸送任務のためショートランド泊地に移動中B17爆撃機3機の襲撃を受け、初めて10㎝高角砲を射撃し、1機を撃墜したようです。
続くガダルカナルへの輸送作戦では水上機母艦日進を護衛したりと、何度も参加しています。
南太平洋海戦の時は機動部隊では無く第4水雷戦隊の旗艦としてルンガ泊地へ突入しましたが、敵機を攻撃を受け秋月も損傷、軽巡由良も沈没しています。

内地に修理に戻った時に煙突両横に25㎜3連装機銃を増設しています。
修理後、再びソロモンに戻りましたが、被雷した輸送船を救援中、米潜水艦ノーチラスの雷撃を受け損傷し、再び内地に修理に向かいました。

修理後、後部高射装置跡に25㎜3連装機銃を装備、電探や聴音機なども装備されました。
その後も輸送作戦や護衛任務に従事し、マリアナ沖海戦では第一航空戦隊の護衛な参加、大鳳、翔鶴を米潜に撃沈された後、残った瑞鶴を米機動部隊の空襲から守り抜いています。

マリアナ沖海戦敗退後、次はフィリピン、レイテ島に米軍は上陸し捷一号作戦が発動され、秋月も僚艦の初月、若月、霜月とともに瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田の4空母の囮任務の護衛に就きました。秋月は米機動部隊艦載機の空襲から瑞鶴を護衛中、米艦爆の爆撃を受け、魚雷発射管に命中、魚雷の誘爆により沈没しました。この戦いで4空母は沈没、初月も米巡洋艦部隊の追撃で単艦戦い沈没しています。



フジミの秋月も発売からけっこう経ちましたが、なかなか同型艦や武装強化のバリエーションが出ないですね。作り分けも大変でしょうが、銃座部品とかがあると他の年次の製作も作るのが楽なので艦NEXTで是非とも出してほしいですね~(*´ω`)


 

→フジミ 航空母艦翔鶴 マリアナ沖海戦時の製作

→フジミ 重巡洋艦 摩耶 昭和19年時の製作

→駆逐艦 浦波 1944年時 製作 ヤマシタホビー+ピットロード

→アオシマ 水上機母艦 日進IF改装1944年の製作

→アオシマ DD115 護衛艦あきづき 製作

→艦船模型・戦車模型の記事一覧表




ブログランキング参加中です。良かったらポチっと押してください(^^)/
にほんブログ村 その他趣味ブログ 模型へ
にほんブログ村

2017年6月9日金曜日

フジミ 航空母艦翔鶴 マリアナ沖海戦時の製作

フジミの航空母艦翔鶴を最終時のマリアナ沖海戦で製作しました。
2年前に製作した艦です。



翔鶴は瑞鶴とともに③計画で建造され、開戦前に揃って竣工、猛訓練の末真珠湾攻撃にに間に合います。

その後もラバウル攻略、蘭印攻略支援、ポートダーウイン攻撃、インド洋作戦などを転戦、空母部隊の集中運用で猛威を振るいました。その後、史上初の空母対空母の海戦、珊瑚海海戦に挑み、レキシントン撃沈ヨークタウン撃破の戦果を挙げますが、自身も中破し軽空母祥鳳も失っています。

ミッドウェー海戦で主力4空母が撃沈され、翔鶴と瑞鶴を中心として空母部隊は第三艦隊として再建されます。米軍のガダルカナル侵攻を受け、新編第三艦隊も出撃、第二次ソロモン海戦を戦います。この戦いではエンタープライズを中破させるも軽空母龍驤を失っています。
その後もガダルカナル攻防戦は続き、再び南太平洋海戦で米空母と激突します。この戦いで米空母ホーネットを撃沈しエンタープライズを撃破、翔鶴と瑞鳳も損傷しますが久しぶりの勝利を手にしています。

その後、日米の機動部隊は再建に入り、その代わり艦載機部隊は陸上基地に移動しソロモンでの戦いに従事します。この一連の戦いで多くの搭乗員を失っています。

昭和19年に入ると、続々と竣工した米空母部隊が各地を空襲し猛威を振るいます。米軍の矛先が絶対国防圏であるマリアナ諸島やパラオに迫ると、日本軍もあ号作戦を発動し、空母9隻を中心とした第一機動艦隊でマリアナ沖での決戦に挑みますが、攻撃隊は米軍の新式のレーダーやCICを活用した防空網に阻まれ多くが撃墜されてしまいます。攻撃隊を送った後の機動部隊にも米潜が忍び寄り、翔鶴は米潜カバラに撃沈されてしまいます。旗艦大鳳もアルバコアの魚雷を受け、その後軽質油の誘爆で沈没、翌日の米機動部隊の追撃で飛鷹も撃沈されマリアナ沖海戦は日本軍の完敗に終わりました。



最終時であるマリアナ沖海戦を作ってみたかったのですが、白線のパターンがちょっとわからなくて南太平洋海戦時のを施してみました。艦首の「シ」が翔鶴を表してくれています。
電探はマリアナ沖海戦時はまだ13号電探は装備されていない?ですが、この方が南太平洋海戦時との差別化ができそうなので取り付けてみました。
メインマストも、他の無線マストのように中段に四角の支え?みたいのがありますが、手元にエッチング部品が無かったのでプラ材で組んだだけです。

艦首と艦尾はミッドウェ―海戦後、それぞれ3連装機銃が2基ずつ増設されており、その後のマリアナ沖海戦前には最終時の瑞鶴のように3基ずつに増設された説もありますが3基装備しているとレイテの瑞鶴っぽいので2基ずつのままとしております。



艦尾から。着艦する時はこんな眺めなんでしょうね。フジミのキットは木甲板と滑り止め甲板のメリハリが効いていて飛行甲板も良い感じです(^^)/



艦首から。鳳翔からはじまり、赤城、加賀で試行錯誤を積み、蒼龍、飛龍で出来上がってきた日本空母の完成形です。
優秀な速力と搭載機、バランスのとれた対空火器で、ミッドウエイ後の日本海軍を支えた名空母です。



フジミの翔鶴のキットは船舷のキャットウオークや機銃座の支柱など細かい部品は多いですが、丁寧に製作すると端正な姿が再現できます。

マリアナ沖海戦での翔鶴第一次攻撃隊は零戦16機、彗星18機、天山9機の合計43機でした。
是非その勇壮な攻撃隊を再現しようと思いましたが…2年前にこの翔鶴を作ったのに未だに艦載機製作が進めていません(;^_^A



先日、ブログに載せた鹵獲米空母ホーネットの空母鳳鷹とのツーショット。

大戦時のライバル艦同士です。同時期の日米の建艦思想の違いが見れますね。







→鹵獲ホーネット改装 航空母艦 鳳鷹

→フジミ 1/700 航空母艦飛鷹 1944年マリアナ沖海戦時 製作

→フジミ 米空母キティホーク改造 航空護衛艦 しょうかく

→ハセガワ DDH183 護衛艦いずも 製作

→アオシマ 水上機母艦 日進IF改装1944年の製作

→ピットロード 給油艦 足摺 製作

→フジミの駆逐艦秋月を1944年時で製作

→艦船模型・戦車模型の記事一覧表


ブログランキング参加中です。良かったらポチっと押してください(^^)/
にほんブログ村 その他趣味ブログ 模型へ
にほんブログ村



2017年4月25日火曜日

駆逐艦天津風 特シリーズ雪風から改造で製作



駆逐艦天津風です。フジミの雪風を改造して製作しました。
艦NEXTでも雪風が発売されましたので、家にあった積みをお手軽製作で天津風にしてみました。






フジミの特シリーズのキットはすごい精密ですが、大戦末期の主砲が2基のスタイルしか再現できません。ですが艦スペのガダルカナル輸送作戦の特集で大戦前半の姿に戻す作例が紹介されていたので、今回はそれよりもう少し楽な前マストに22号電探を装備した状態のを製作してみました。





天津風が被雷して艦前半分を失う直前に内地で整備していたので、たぶん僚艦の雪風と一緒に前マストを改修して22号電探を装備してたのかなと。
艦橋前に25㎜連装機銃座を。中央の機銃座は3連装機銃に改正されていたと思われます。

艦全体に装備された単装機銃の取り付け穴は伸ばしランナーで穴埋めしました。
でも、後で気が付きましたが単装機銃の弾薬箱を削るのを忘れていました(;^_^A
作っている時、この四角のは何やろ?と思ってましたが、出来上がって気づきました。





後部の主砲後の機銃座を接着してから削り混み、主砲基部は円形銃座でそれらしく再現しました。




マストは今回はお手軽製作という訳でキットのパーツそのままで。

いつもは大戦末期の機銃増設の状態ばかり作っていますが、3砲搭あるのも良いですね。




→ピットロード 朝潮型駆逐艦 満潮 レイテ沖海戦時製作

→駆逐艦 浦波 1944年時 製作 ヤマシタホビー+ピットロード

→ピットロード 睦月型駆逐艦 弥生 昭和17年 製作

→ピットロード 特型駆逐艦Ⅱ型 曙 最終時 製作

→タミヤ 軽巡洋艦球磨 最終時製作

→フジミ 重巡洋艦 摩耶 昭和19年時の製作

→戦艦日向 戦艦状態IF改装1944年 フジミ+ハセガワで製作

→艦船模型・戦車模型の記事一覧表




ブログランキング参加中です。良かったらポチっと押してください(^^)/
にほんブログ村 その他趣味ブログ 模型へ
にほんブログ村

2017年4月23日日曜日

重巡洋艦 摩耶 昭和19年時の製作

フジミの重巡洋艦、摩耶の最終時です。



精密なモールドの特シリーズの中でも、この摩耶は重厚な上部構造物を有しているので、組みあがると中々の迫力です。

アオシマとピットロードからも摩耶は発売されています。
作り易さのアオシマと予備部品の豊富なピットロードとハイディティールのフジミと好みによって選ばれたら良いと思います。



巨大な艦橋がそのままに高角砲機銃が増設された、戦艦と見間違えられた程の重厚な艦影です。
その特徴的な姿で人気のある艦です。

特シリーズのキットは船底板が無いのでいつもはプラ板で0.8㎜かさ上げしていますが、摩耶は改装で喫水が深くなっているのを表現したく、そのままにしています。



艦橋前は機銃座と高角砲座が集中している迫力のある部分です。

このキットは部品の合わせがきつく、前のマストも調整しないときれいに取り付けれません。
甲板も魚雷発射管に干渉するのか甲板と船体にひずみが出てしまいます。
次に高雄型を作る時は注意して作ってみます。



製作している時に呉式2号射出機のエッチングに持ち合わせがなく、キットのプラパーツを使ってみましたが、墨入れするとけっこう良い感じですね。



高雄型4隻を揃えて、栄光の第四戦隊を再現してみたいです(^^)




高雄型重巡洋艦は巨大な艦橋が特徴的で、建造当時も国内外から注目を集めた艦型でした。
しかし、大きすぎる艦橋も具合が悪かったようで、開戦前に高雄と愛宕は近代化改装で艦橋の小型化と魚雷兵装や対空兵装の強化、後マストの移設、航空作業甲板の新設、バルジの装備などを実施しています。しかし摩耶と鳥海は小規模な改正のみで、ほぼ新造時のまま太平洋戦争に臨みます。

摩耶は開戦当初、フィリピン攻略作戦に参加、その後、蘭印攻略作戦、ポートダーウイン空襲に参加しています。ポートダーウイン空襲後、蘭印から豪州へ逃亡する連合軍艦船の封鎖作戦に参加し他艦と協力して英駆逐艦ストロングホールドや護衛艦ヤラ、商船7隻等を撃沈、商船数隻を拿捕する戦果を挙げています。
ミッドウエイ作戦では別動隊のアリューシャン作戦に高雄とともに隼鷹と龍驤とダッチハーバーに空襲を仕掛けました。

米軍のガダルカナル上陸を受け、摩耶ら第二艦隊も同島を巡る戦いに参加します。
第二次ソロモン海戦にも前進部隊として参加しています。
10月15日には妙高らとヘンダーソン飛行場に艦砲射撃を行い砲撃に成功しています。
南太平洋海戦にも前衛部隊として参加しています。
第三次ソロモン海戦では再びヘンダーソン飛行場に砲撃を敢行し、成功しましたが帰投中に米軍機の攻撃を受け、重巡衣笠が沈没、鳥海と五十鈴も損傷しました。摩耶にも米軍機が体当たりし損傷を受けています。

内地で修理を受け、その後北方の第五艦隊に編入され、アッツ島への増援作戦中に米艦隊と遭遇し、アッツ島沖海戦が起こりました。日本側の指揮がまずく多数の主砲弾や魚雷を消費したのに戦果はわずかで輸送作戦も失敗に終わっています。

次は再びラバウル方面に転戦します。米軍のブーゲンビル島侵攻を迎え撃つため第二艦隊の重巡部隊はラバウルに進出しますが、ラバウル入港直後に米空母艦載機の空襲を受け重巡部隊に沈没艦は出なかったものの多くの損害が出てしまいます。摩耶も航行不能になるほどの損傷を受け応急修理の後に内地へ修理に向かいました。

この損傷修理で大改装が施されます。3番主砲と12㎝単装高角砲を撤去し、12.7㎝連装高角砲を6基装備し、魚雷発射管も連装4基から4連装4基に倍増、電探と機銃も増備され、復元性確保のためバルジも増設されました。

大きな防空能力の備わった摩耶はこの後、マリアナ沖海戦にも参加します。
この海戦でも摩耶は至近弾により損傷を受けてしまいます。

マリアナ沖海戦敗退後、次の米軍の矛先はフィリピン、レイテ島に大部隊で進行してきました。
摩耶も第二艦隊の水上部隊の一員として、ブルネイを出撃、レイテ湾へ向かいますが、パラワン水道を進撃中、米潜ダーターとデースの雷撃を受け摩耶は魚雷4本が命中し撃沈されてしまいます。同時に愛宕も撃沈され、高雄も損傷を受けブルネイに後退、ただ一隻残った鳥海もサマール沖海戦で米軍機の攻撃を受け沈没し、第四戦隊は壊滅してしまいました。






→フジミ 重巡洋艦 鳥海 1944年に製作フジミ 

→アオシマ 陸軍舟艇母船 あきつ丸の製作

→ハセガワ 重巡洋艦 青葉 製作

→ タミヤ重巡洋艦 熊野 1944年時を製作

→フジミ 艦NEXT 戦艦武蔵 レイテ沖海戦直前製作

→駆逐艦 浦波 1944年時 製作 ヤマシタホビー+ピットロード

→艦船模型・戦車模型の記事一覧表




ブログランキング参加中です。良かったらポチっと押してください(^^)/
にほんブログ村 その他趣味ブログ 模型へ
にほんブログ村

2017年2月20日月曜日

戦艦日向 戦艦状態IF改装1944年 フジミ+ハセガワで製作

もうすぐフジミの特シリーズで戦艦時代の伊勢が発売されますね。

こちらは数年前にフジミとハセガワのキットを二個イチにして日向を製作してみた物です。



当時は戦艦時代の伊勢型はハセガワのキットしか無く、フジミからは航空戦艦時代のキットのみ出ていました。

このキットは「もし戦艦日向が航空戦艦に改装されずに戦艦のまま運用されていて、対空兵装を増強していたら・・」の状態で製作しています。

日向は扶桑型戦艦の改良型である伊勢型戦艦の2番艦として三菱長崎造船所で大正7年に就役しました。軍縮条約で八八艦隊の高速戦艦群が建造中止になってしまった結果、長門型につぐ主力戦艦として数度の改装を重ねられました。

太平洋戦争開戦時は伊勢、扶桑、山城とともに第一艦隊第二戦隊を編成していました。昭和17年
5月に訓練中、五番砲塔の爆発事故により損傷を受けます。この時の爆発事故の映像は、偶然ニュース映画に収録されています。当時の検閲は何を見ていたんでしょうね(;^_^A

5番砲塔の後に応急処置で25ミリ3連装機銃を4基搭載してミッドウエイ海戦に出撃します。
しかし機動部隊の主力4空母が撃沈され、作戦は失敗に終わり、戦艦部隊も何も会敵しないまま撤退しました。

主力空母4隻の損失に大慌てになった海軍は、保有艦艇の空母化を多数検討します。開戦以来出番のなかった戦艦の中でも、空母に随伴して活躍している金剛型は対象外、大和型につぐ40㎝砲搭載の長門型も除外、低速で36㎝砲搭載の伊勢型、扶桑型が検討されました。なかでも伊勢型は日向が事故で五番砲塔を失っているので、この2隻が改造される事になりました。

しかし全通甲板の空母に改装するとなると上部構造物の撤去を含め、工事期間がかかりすぎてしまいます。そこで、艦後半部に航空施設を設け、発艦のみとし、収容は他の空母に任せる航空戦艦として改装される事になりました。この改装は18改装と呼ばれ建造中止になった大和型戦艦4番艦の資材を利用して昭和18年11月に改装工事が完了しました。

6基12門あった主砲は4基8門に、副砲は全門撤去されましたが、代わりに12.7㎝高角砲は4基8門から8基16門に倍増し機銃も3連装機銃を多数搭載、航空機も22機搭載できるようになりました。
伊勢と日向の搭載航空隊は第634航空隊の瑞雲と彗星を予定していましたが、訓練中に起きた台湾沖航空戦に航空隊は投入されてしまい、レイテ沖海戦には搭載機無しで出撃することになりました。

レイテ沖海戦では米機動部隊を北方へ誘い出し、栗田艦隊のレイテ突入を援護する囮部隊として小沢機動部隊の一員として参加しました。空母瑞鶴ら4空母も搭載する航空機は定数の半分以下でした。日向と伊勢は搭載機は無いものの、持ち前の強力な対空火器で空母を護衛することになります。10月25日、小沢部隊は米機動部隊の大規模な空襲を受けます。攻撃を受けながらハルゼーの米機動部隊に主力機動部隊と思い込ませ、北方へ誘い出すことに成功します。しかし猛攻撃により歴戦の空母瑞鶴をはじめ瑞鳳、千歳、千代田の4空母は撃沈されてしまいます。残った航空戦艦も仕留めようと日向と伊勢に攻撃は集中していきますが、両艦とも巧みな操艦により全弾回避、逆に多数の敵機を返り討ちにする戦果を挙げています。

レイテ沖海戦敗退後、シンガポールに進出していましたが、昭和20年に入るといよいよフィリピン全土も失陥目前で南方航路も途絶してしまいそうになります。そこで残存艦艇に詰めるだけ戦略物資を積み込み本土に帰還する北号作戦が行われます。
制海権、制空権の無い中、危険な作戦で成功は危ぶまれましたが2月10日、旗艦日向と伊勢、軽巡大淀、駆逐艦朝霜、霞、初霜の6隻で内地へ向け出港しました。

途中、合計26隻もの米潜のウルフパックやB24数十機の襲撃に見舞われましたが、スコールに逃げ込んだり、巧みな操艦で回避したり、時には主砲の射撃で撃退したりとし、2月20日、全艦無事に呉に到着できました。

しかし本土に帰りつけても、もはや動かせる燃料も無く、特殊警備艦に指定され呉軍港で浮き砲台となります。7月24日、米機動部隊の大空襲により多数の命中弾を受け大破着底し終戦を迎えました。



せっかく航空戦艦に改装されたものの、肝心の航空機を実戦で1機も敵に向けて発艦することが叶わなかった日向ですが、改装されて向上した防空力と搭載力で別のところで活躍できました。

以前に製作した日向は、もし航空戦艦に改装されずに、大戦末期に対空兵装を増強していたら・・という姿で製作しています。

フジミとハセガワのキットを2個イチとフジミ航空戦艦伊勢用のエッチングを用いています。

船体はハセガワの日向を用いています。艦橋や煙突の基部だけ部品を削り取り、フジミのパーツをそのまま移植しています。

艦橋と煙突周囲はフジミの航空戦艦そのままで組み立てています。



甲板と艦橋周りの木甲板がメーカーの表現の差がありますが、そこまで目立たないです。

副砲は片舷4門ずつに減らしています。7、8番高角砲は航空戦艦では一段低く穴が開いていますが、戦艦時代のキットだと開いていないのでハセガワのキットの3、4番高角砲座がブラスト除けもついているので使用しています。

ただでさえ3、4番主砲を背負い式に装備して、艦内容積が少なくて居住性の悪かったのが高角砲増設でさらに悪化してそうです(;^_^A



後部艦橋はハセガワのキットを使用し、後マストと機銃座はフジミのキットを使用しています。
後マストのクロスツリーはエッチングパーツです。

6基ある主砲のうち、4基はフジミの伊勢のを、残る2基は雰囲気を合わせるためジャンクにあったフジミの金剛の主砲を使用しています。

以前に製作していた、この日向、棚から出して、破損個所をリフォームしてみました。対空兵装を増強した戦艦状態の日向、なかなかカッコいいです。日本海軍の戦艦の基準だと高角砲も増設しても6基まで(金剛型や長門レイテ沖後)ですが、エンガノ岬沖海戦の勇戦を讃えて8基装備してみました。今度発売される戦艦時代の伊勢を、レイテの長門に準じた対空兵装で製作して並べてみたいです(^^)/ それに山城と扶桑を並べたら・・・ご飯3杯は食べられそうです(^^)

戦艦日向 1944年10月

基準排水量36500t 公試排水量41000t 速力25ノット
36㎝砲12門 14㎝砲8門 12.7㎝高角砲16門 25㎜機銃78挺





こちらの記事もどうぞ(^^)/

→フジミ 戦艦山城 レイテ沖海戦時 製作

→フジミ 戦艦比叡 1944年時IF改装 製作

→フジミ 艦NEXT 戦艦武蔵 レイテ沖海戦直前製作

→フジミ 重巡洋艦 摩耶 昭和19年時の製作

→艦船模型・戦車模型の記事一覧表




ブログランキング参加中です。良かったらポチっと押してください(^^)/
にほんブログ村 その他趣味ブログ 模型へ
にほんブログ村

2017年1月25日水曜日

フジミ 航空母艦 海鷹 製作

フジミの航空母艦海鷹です。



海鷹は大阪商船の南米航路の貨客船、あるぜんちな丸を空母に改装した艦です。
開戦時は特設運送船として行動していましたが、ミッドウェー海戦敗退後、空母化が決定され、同年末改装工事が入りました。姉妹船のぶらじる丸は空母改装決定直後に米潜の雷撃により撃沈されています。
改装時、元からのデイーゼル機関では出力不足で甲型駆逐艦の機関と交換し、速力が客船時代の21.5ノットから23ノットへ上がりました。
昭和18年11月に改装工事が完了し航空機輸送や対潜哨戒用の97式艦攻を搭載し、多くの船団の護衛に活躍しました。
昭和20年になると南方航路も途絶し、海鷹も瀬戸内海で航空隊の訓練標的任務などにつきますが、7月24日、B29の敷設した磁気機雷により損傷を受け別府湾で擱座し終戦を迎えました。
戦後、サルベージされ解体されています。



海鷹のキットはフジミから発売されています。特シリーズとして発売されていますが、精密なキットではなく、同時期の敷設艦や給油艦などと同じ、大味な部品構成となっております。
しかし、海鷹のキットとしては唯一のキットで、手を加えたら可愛らしい海鷹の姿を再現できます。



第931航空隊の97式艦上攻撃機を搭載し、船団護衛時に対潜哨戒を行っていました。
甲板に3機載せてみました。
飛行甲板はラテックスという事で軍艦色1で塗装しています。



小さい飛行甲板です。タンカー改造の特TL船しまね丸を除けば日本海軍の空母中、最小の大きさです。離着艦作業は大変だったでしょうね。



左右の着艦標識など一部部品はエッチングが標準で付属しています。他があっさりしているのでここだけ精密になってます(笑)他に艦橋などがエッチングで組み立てる仕様になっていますのでエッチングを使った事がない人には作りにくいかも。でも部品構成的に簡単な部品なので練習台には良いかもです。



艦橋周りは隙間も出やすく、仮組み、擦り合わせを丁寧にした方が組み立てやすいです。



ちょっと艦橋は陰になって写りが見ずらかったです(;^_^A



このフジミの海鷹、最近の精密艦のあるキットと比べたらシンプルであっさりしたキットですが、その分組み立てやすく、独特の姿を再現できます。


こちらの記事もどうぞ(^^)/

→フジミ 戦艦比叡 1944年時IF改装 製作

→フジミ 1/700 航空母艦飛鷹 1944年マリアナ沖海戦時 製作

→フジミ 航空母艦翔鶴 マリアナ沖海戦時の製作

→ピットロード 特設防空巡洋艦 愛国丸

→ピットロード 丙型海防艦 第13号海防艦 製作

→艦船模型・戦車模型の記事一覧表









ブログランキング参加中です。良かったらポチっと押してください(^^)/
にほんブログ村 その他趣味ブログ 模型へ
にほんブログ村

2017年1月23日月曜日

フジミ 戦艦比叡 1944年時IF改装 製作

フジミの特シリーズの高速戦艦比叡です。



もうすぐ3月にスナップフィットの艦NEXTシリーズに比叡も発売されますね。
こちらの作例は5年前に特シリーズの戦艦比叡を製作したものです。
艦NEXT比叡の製作の参考にもどうぞ(^^)/




フジミの比叡は昭和15年の第二次改装後~最終時の昭和17年時の姿もモデル化しています。
比叡は他の金剛型戦艦が改装されていく中、軍縮条約により練習戦艦として保有されており、その分近代化改装工事は一番最後となりました。最後になった分、建造中の大和型戦艦のテストベッドとして、新式の主砲射撃用方位盤や大和型に似た前艦橋を備えており、金剛型4姉妹の中では一際、目立つ艦容になっていました。



比叡の特徴的な艦橋。大和型の新式の塔型艦橋と従来の日本戦艦のパゴダマストをミックスした、何ともかっこいい姿をしています。

この作例ではもし、昭和17年の第三次ソロモン海戦で比叡が沈まず、金剛、榛名と同じように対空兵装を増備していたら・・・というIF設定で製作しています。



比叡のキットと金剛昭和19年時のキットをニコイチにして製作いています。
武装配置は金剛の配置を参考にしています。

2番、3番主砲の上に機銃座を移植。探照灯も2基撤去して機銃と換装。
前艦橋と後部艦橋の下の甲板にプラ材で機銃座を増設。
後部艦橋の副砲用の方位盤も機銃座に変更。
煙突両脇のカッターを移設して12.7㎝高角砲を増設しています。



航空作業甲板周りも防弾版を設け、単装機銃を設置しています。
他にも後部艦橋下や2番砲両舷にも金剛を参考に単装機銃を設置しています。



副砲の砲郭も片舷7門を4門に減らして、3門分はプラ板で塞いでいます。



射撃指揮所に21号電探、艦橋上部両脇に22号電探、後マストに13号電探を装備しています。
他に、錨鎖は金属チェーンに、キット純正エッチングでマストや探照台などを交換しています。

開戦時の武装が
36㎝砲連装4基8門 15㎝副砲単装14門 12.7㎝高角砲連装4基8門 25㎜連装機銃10基20挺
13㎜4連装2基8挺 でした。

これをIF改装で昭和19年10月時点
36㎝砲連装4基8門 15㎝副砲単装8門 12.7㎝高角砲連装6基12門 25㎜3連装機銃16基48挺 25㎜連装機銃8基16挺 25㎜単装機銃20挺  25㎜機銃合計84挺 13㎜4連装2基8挺 
に強化しています。




比叡は改装により他の金剛型よりバルジが少し幅がありますが、特シリーズのキットでは甲板も幅広になっていて、金剛らと並べると、幅が大きくなってしまっているのが欠点でした。
艦NEXT版ではこの欠点も解消されていると思います。



久しぶりにこのキットを棚から出してきて、ウオッシングと墨入れをして、その他ちょこちょこと破損部分を手直しして、艶消しのトップコートで馴染ませてみました。

こうしてあらためて見ると、甲板の幅が若干広いのも単艦で見たらそこまで気にならないし(逆に堂々と見える!?)こちらの特シリーズの比叡もなかなかカッコいいです(^^)/

艦NEXTは比叡発売の後は他の3艦は出るんでしょうかね?できれば榛名のレイテ沖海戦時を出してほしいです(*'ω'*)



戦前は練習戦艦として4番砲塔や装甲を外していましたが、天皇陛下の御召艦として観艦式などに多く出ていましたので多くの国民に親しまれていました。

比叡は開戦時は霧島と共に南雲機動部隊の随伴艦として参加。真珠湾攻撃以降各地を転戦しました。インド洋では金剛、榛名と4隻で行動しました。この時の写真もすばらしい構図で残されています。ミッドウェー作戦では機動部隊から外れ、金剛と攻略部隊の支援にあたりました。

南雲機動部隊壊滅後、新編された第三艦隊に霧島とともに編入されました。
その後ガダルカナルを巡る戦いが起き、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦に参加しています。

金剛榛名のヘンダーソン飛行場砲撃に続き、比叡と霧島も出撃しましたが、米艦隊の待ち伏せに遭い、近代戦史上稀にみる夜間の混戦により、艦橋はじめ上部構造物が火だるまになり、米巡洋艦の砲撃により操舵不能になり機関は健在でしたが、ガダルカナル沖合で立ち往生してしまいました。夜が明けると米軍機の襲撃により次々と命中弾を受け機関室全滅の誤報もあり、ついに比叡は放棄され自沈処分され、日本戦艦初の損失艦となりました。

霧島も翌日の第三次ソロモン海戦第二夜戦で米戦艦と交戦し沈没し、日本海軍は貴重な高速戦艦をたった2日で2隻も失うことになりました。


       


こちらの記事もどうぞ(^^)/

→本格海戦シミュレーションゲーム 「蒼焔の艦隊」

→フジミ 戦艦山城 レイテ沖海戦時 製作

→フジミ 艦NEXT 戦艦武蔵 レイテ沖海戦直前製作

→タミヤ 軽巡洋艦名取 最終時製作

→フジミ 航空母艦翔鶴 マリアナ沖海戦時の製作

→戦艦日向 戦艦状態IF改装1944年 フジミ+ハセガワで製作

→アオシマ 水上機母艦 日進IF改装1944年の製作

→艦船模型・戦車模型の記事一覧表








ブログランキング参加中です。良かったらポチっと押してください(^^)/
にほんブログ村 その他趣味ブログ 模型へ
にほんブログ村

2017年1月17日火曜日

フジミ 重巡洋艦 那智 1944年時 製作

フジミの重巡洋艦、那智です。



フジミの妙高型重巡はフジミのウオーターラインシリーズ脱退後、独自のブランド、シーウェイモデルを改め、新ブランド、「シーウェイモデル特」として、大和型に続いて発売されました。
その後の戦艦金剛から超精密なモデルを発売して現在に至りますが、その前に発売された妙高型は精密度でいえば現在の特シリーズより劣ります。しかし価格も手ごろで組み立てやすく、他社の重巡キットと並べても遜色の無いキットです。
妙高型はハセガワからも発売されています。どちらを選ぶかは好みによると思います。



組み立ては同社の利根型や高雄型と比べてスラスラと組みあがります。
入門用には最適なキットです。
妙高型各艦を作り分けられるように部品も分けられていますが、船外電路や煙突の蒸気管などが全部共通になってしまっています。



航空作業甲板のマスキングはやや手間がかかりますが。



艦橋は高雄型より小ぶりですが、なかなかの存在感です。
ここは墨入れするとグッと引き締まります。



那智の増設機銃は大戦末期でも25ミリ連装機銃が増設されたのみで、前から装備しているのと併わせて25ミリ連装機銃は合計10基となり、他の重巡と比べて控えめです。他に単装機銃が28基装備されていましたが、この作例では省略しています。
電探は22号が艦橋両舷に。21号と13号が前マストに装備されています。



このキットの欠点は艦首のすべり止めパターンがなぜかリノリウム張り表現になってしまっている事です。ここは鎖などのモールドがあるので修正は難しい部分です。



作りやすいキットですので、妙高型4隻を並べることも他艦と比べたら簡単そうです。
できることならば、艦NEXTシリーズで4隻作り分けれるようにリニューアルされたらうれしいですが(*'ω'*)

那智は妙高型重巡洋艦として1928年に竣工しました。
開戦時は第五戦隊に所属し、ダバオやマッカサル、チモール島攻略作戦などを支援しました。
スラバヤ沖海戦では連合軍艦隊と交戦、遠距離からの砲雷撃戦を行いましたが、なかなか命中弾を得られず、ようやく第二夜戦でオランダ巡洋艦、デ・ロイテルとジャワを撃沈しました。

南方作戦終了後、那智は北方艦隊である第五艦隊に転属し旗艦となりました。
アリューシャン作戦参加後、昭和18年には占領しているアッツ島への輸送作戦支援に出撃、この時阻止に来た米艦隊とアッツ沖海戦が起きます。この時も遠距離砲戦で双方決定打に欠いた戦いとなり、司令長官の細萱中将はのちに更迭されます。

その後も第五艦隊は北方に展開していましたが、サイパン失陥後は南方へ移動、レイテ沖海戦に志摩中将の指揮のもと、第二遊撃部隊としてスリガオ海峡へと突入、先に突入し大破し後退中の最上と衝突してしまい、艦首を損傷し速力が低下、レイテ突入を断念します。
その後マニラ湾に帰投し、レイテへの増援作戦、多号作戦を支援しますが、マニラ湾にも米機動部隊艦載機の空襲があり、那智もレキシントン艦載機の攻撃を受け、撃沈されてしまいました。




こちらの記事もどうぞ(^^)/

→フジミ 戦艦山城 レイテ沖海戦時 製作

→ピットロード 特型駆逐艦Ⅱ型 曙 最終時 製作

→ピットロード 朝潮型駆逐艦 満潮 レイテ沖海戦時製作

→フジミ 戦艦比叡 1944年時IF改装 製作

→艦船模型・戦車模型の記事一覧表









ブログランキング参加中です。良かったらポチっと押してください(^^)/
にほんブログ村 その他趣味ブログ 模型へ
にほんブログ村