最新のキットだけあって組み立てやすいキットでした。
前後のマストと旗竿をプラ棒で作り直した以外はキットのパーツで製作しています。
(パーツを無くした方位盤上の測距儀と22号電探は別に調達していますが)
リノリウム甲板にはデカールが用意されていましたが、今回は使わずに塗装を行っております。
島風は高速化する米新戦艦群に対抗するため、速力を高めた次世代の駆逐艦として、④計画で試作艦として建造されました。島風は陽炎型駆逐艦天津風に試験的に搭載された高温高圧缶を装備し75000馬力の出力で40ノットの高速を発揮する事ができました。島風はそれに加え、甲型駆逐艦では魚雷8射線と予備魚雷に対し予備魚雷無しですが61㎝酸素魚雷を15射線と破格の雷撃能力を有していました。
続く⑤計画で同型艦を16隻量産する計画でしたが大戦に突入し、建造の手間のかかる丙型駆逐艦の建造はキャンセルされ、島風1隻のみとなりました。
島風は昭和18年5月に竣工し、第11水雷戦隊に編入され訓練に明け暮れます。アッツ島玉砕後、次はキスカ島が危なくなってきたので、キスカ島から守備隊の撤退作戦が計画されます。島風も竣工当初から装備していた22号電探をあてにされ撤退部隊に編入されました。木村少将率いる撤退部隊は5183名の陸海軍部隊の撤退を成功させました。
その後島風は第二水雷戦隊に編入され艦隊や船団の護衛任務に就きます。
トラックやパラオへの油槽船の護衛などに就きますが米潜の攻撃で油槽船や僚艦の駆逐艦を多数失うなど苦しい戦いが続きました。
いよいよ米軍が絶対国防圏に迫ってくる中、今度はビアク島へ米豪軍が上陸をし、ビアク島救援の渾作戦を行います。この作戦に島風も大和や武蔵らと編入されましたが今度は米軍のサイパン侵攻により渾作戦は中止し第一機動艦隊に合流しマリアナ沖海戦を戦います。続くレイテ沖海戦では第一遊撃部隊に所属しレイテ湾を目指すも直前で反転しレイテ突入にはなりませんでした。撤退中の米機動部隊の空襲により第二水雷戦隊の旗艦の能代が沈没し、その後島風が二水戦の旗艦となりました。
レイテ沖海戦敗退後もレイテ島を巡る地上戦は続き、生き残りの駆逐艦たちは増援輸送作戦「多号作戦」に参加します。島風は第三次の輸送隊として輸送船5隻を島風、若月、浜波、長波、朝霜、掃海艇30号で護衛してオルモック湾に向かいましたが、米機動部隊の艦載機347機に襲われ島風らは煙幕を張りながら迎撃するも輸送船団は全滅、島風自身も持ち前の高速で爆弾、魚雷を回避するも至近弾や機銃弾により多数の破孔により機関が浸水、航行不能になり沈没しました。他の護衛艦も朝霜を除いて全滅してしまいます。
島風は持ち前の高速力と雷撃力を発揮できないまま、最後は航空機の攻撃で狭い湾内での最期となりました。
島風はその高速故、艦橋にも遮風装置が取り付けられています。
キットでは艦橋と煙突が一体化でパーツ化されており組み立てもしやすいように配慮されています。マスト下部のトラスも表現されており、電探架台から上のみプラ棒で作り変えているのみとしております。22号電探はわずかに左舷にオフセットされているのが再現されています。
島風自慢の零式5連装魚雷発射管も精密なモールドで再現されています。
2・3番発射管の間の増設機銃座の形状は左右で違う形もきちんと再現されています。
主砲の12.7㎝連装砲D型は側面の補強桁もしっかりモールドされています。
砲身は中から通す方式ですので防水カバーの塗装もやりやすいです。
主砲と魚雷発射管にはポリキャップが内蔵されていますので旋回も自由にできます。
これでブンドドも楽しめます。
このタミヤのリニューアル版島風は、とても作りやすく設計されていますので、気軽に島風の雄姿を再現できます。
ただ、キットではマリアナ沖海戦後の状態でキット化されており単装機銃も取り付けガイド穴などが施されていますので竣工時の状態にするには少し手間がかかりそうです。
フルハル状態やキスカ撤退時を作られる場合は、少しお値段はしますがピットロードのキットがあります。最終時のWLモデルを作る場合ならタミヤのキット、単艦のフルハルで作りこんだり、各年代を作り分けるならピットロードと選んでみるのも良いかもです。