アオシマの軽巡洋艦、大淀です。
大淀は最後の連合艦隊旗艦を務めた艦です。
戦前日本海軍は、漸減邀撃作戦として、主力艦隊同士の戦いの前に潜水艦や航空機で敵主力艦を漸減する構想を立てていました。航続距離の長い巡洋潜水艦で敵艦隊を探し出すのは無理がありますので、大きな偵察力と通信力を持った潜水艦隊旗艦にて潜水艦群を指揮しようと建造されたのが大淀です。
主砲は最上型から流用した15.5㎝3連装砲2基、高角砲は新型の長10㎝高角砲を連装で4基、魚雷発射管は無しで後部には大型のカタパルトと6機の高速水偵を搭載する大型の格納庫を備えた特殊な巡洋艦として大淀は完成しました。
しかし、開戦後、漸減邀撃作戦は起きず、洋上で潜水艦隊を率いるという場面は無くなり、竣工したての大淀の活躍の場はありませんでした。
仕方なしに各種輸送作戦に就いていましたが、戦局の悪化に伴い、連合艦隊旗艦であった第一戦隊の大和、武蔵を最前線で使うため、大淀の後部格納庫を連合艦隊旗艦の司令部に改造す事となります。
大型のカタパルトは従来のカタパルトに交換し格納庫は司令部に改造されました。
しかし思いのほか司令部としては手狭で通信能力も限られており、連合艦隊司令部は地上の日吉に司令部を移転します。
またもや仕事の無くなった大淀は、次は第三艦隊の空母部隊の護衛として、レイテ沖海戦に参加します。空母瑞鶴沈没後、旗艦を引き継いでいます。
レイテの戦いの後、南方に転戦し、礼号作戦でミンドロ島の米軍を砲撃に成功します。
その後航空戦艦伊勢、日向らと南方から物資を持ち帰る北号作戦を無事に完遂しますが、燃料不足で呉にて予備艦となります。そのまま身動きの取れないまま米機動部隊の空襲で被弾、横転し着底、戦後浮揚され解体されました。
アオシマの大淀のキットは繊細なモールドと組みやすい構成でストレート組みでも大淀の雄姿が再現できます。
主砲の砲身は少し太かったので、ストックしていたタミヤの軽巡熊野の主砲を使用し、前後マストのトラスを細プラ棒で組み、電探と射出機をエッチングに、機銃も交換しています。