2024年5月28日火曜日

軽巡洋艦鬼怒 1944年時 フジミ艦NEXT多摩改造

 軽巡洋艦鬼怒の1944年時をフジミの艦NEXTシリーズの多摩から改造して製作しました。



フジミの多摩は最終状態でキット化されているので大戦後半の5500t型軽巡のベースにできるのでは?と思い改造してみました。

キットは艦NEXTシリーズでは一番新しいので組み立て自体は簡単です。

製作の参考に艦船模型スペシャルのNO29に折り込みで鬼怒の昭和18年時の図面が載っていたので参考にさせてもらいました。

艦橋はタミヤの鬼怒のジャンクパーツがあったのでそこから流用しています。

主な改造点は艦橋と前部マスト、後部マスト、2番煙突の配管跡の成型などです。

昭和18年時の図面では前マストに21号電探を装備、5番、7番砲を撤去し5番砲塔跡両舷に25㎜3連装機銃、7番砲跡に12.7㎝高角砲を増設しています。

捷一号作戦前の機銃や電探の増備状況はいろいろ調べてみましたが、単装機銃がいくらか増備されたような記述しか探せなかったので他の5500t型軽巡を参考に想像で製作してみました。

後部は7番砲塔跡の12.7㎝高角砲は図面だとシールド付のようです。後楼クロスツリーには五十鈴を参考に22号電探を装備してみました。

艦尾の機雷敷設軌道はそのままに単装機銃を6基、3連装機銃座も装備。

カタパルト跡にも3連装機銃座、横には小発も搭載しています。単装機銃も周囲に6基装備、弾薬箱も備えております。

艦橋前部の13㎜連装機銃座の横には単装機銃座を両舷設け、艦橋横、1番煙突後方吸気塔の上にもそれぞれ単装機銃を2基ずつ装備してみました。


軽巡洋艦鬼怒 昭和19年秋

14㎝単装砲5門、61㎝連装魚雷発射管4基8門、12.7㎝連装高角砲1基2門

25㎜3連装機銃4基、連装2基、単装18基、合計34門

13㎜連装機銃1基2門 21号電探1基、22号電探1基

軽巡洋艦鬼怒は5500t型軽巡、第二グループの長良型軽巡の5番艦として1922年11月に竣工しました。1930年には艦艇としては初めて射出機を装備しました。

太平洋戦争開戦時、鬼怒は第四潜水戦隊の旗艦としてマレー方面の作戦に参加しました。12月9日には指揮下の伊165がプリンス・オブ・ウェールズとレパルスなどのZ部隊を発見しています。マレー沖海戦勝利後はボルネオ攻略作戦、クチン攻略作戦などに参加、その後ジャワ攻略や西部ニューギニア攻略にも参加しております。

南方攻略の諸作戦成功後、鬼怒は南西方面艦隊の第16戦隊に編入され東南アジア方面の警備や輸送などの任務に就きました。

激戦の繰り広げられる南東方面のソロモン、ニューギニアと比べ比較的穏やかに過ごしていました。しかし、1943年6月23日、マッカサル港にて他の16戦隊所属軽巡達とともにB24爆撃機の爆撃を受けます。この爆撃で鬼怒は至近弾で損傷し呉で修理を受けます。

修理時と1944年にかけて数度、電探と対空装備の強化が行われました。

損傷修理後も南西方面にて輸送任務に就いていました。

第16戦隊の所属艦は輸送作戦の途上で次々と敵戦潜の攻撃により沈没や損傷を受け、1944年10月には旗艦の重巡青葉と軽巡鬼怒、駆逐艦浦波のたった3隻となってしまいます。

米軍のフィリピンへの侵攻に対し捷一号作戦が発令され栗田艦隊とともにブルネイ泊地に進出します。第16戦隊はレイテへの陸兵輸送を命じられ、移動の途中、旗艦の青葉が米潜の雷撃で損傷、2隻になった16戦隊は輸送艦5隻とカガヤンに向かい陸兵を搭載、レイテ島へ向かいました。10月26日4時に無事レイテ島オルモックに着き陸軍部隊を揚陸、帰途につきますが、米護衛空母部隊の艦載機につかまり、対空戦闘に奮戦しましたが浦波も沈没、鬼怒も航行不能になり17:30沈没しました。生存者は輸送艦が救助を行っています。