フジミからはこの最終時の昭和19年時に加え、開戦時の昭和16年時、戦間期の昭和13年時が発売されています。
他にアオシマからも発売されています。
組み立ては他の特シリーズと同様、細かな部品割りで製作にはなかなか時間がかかります。
特に細長い艦橋構造物を垂直に作ったり、木甲板の細かなマスキングがけっこう大変です。
しかし、完成するとその苦労も忘れるほどの良い仕上がりになってくれます。
扶桑のアンバランスな艦橋も良いけど山城のスマートな艦橋も良いですね。
煙突を挟んで配置された3、4番砲。この配置が扶桑型にとってのネックでした。
でも、模型的にはこの配置はなかなかかっこいいです。
後部艦橋の高角砲座も主砲の爆風の影響のため高めに配置されています。ドイツ軍のフラックタワーみたいで独特な形状です。
36㎝砲連装6基12門を配した艦容は迫力があります。
甲板上の機銃座はプラ材でブルワークと弾薬箱を再現しました。
上から見た配置です。甲板に単装機銃も多数、増設されています。
13ミリ連装機銃も甲板上に装備されていましたが、今回は再現していません。
なんかとりあえず余っていた対空火器を載せてみました感がありますので(;^_^A
スマートかつ重厚な山城の艦容。製作には時間がかかって、作っている最中は「戦艦はもう勘弁」と思いましたが、出来上がりは素敵です。
扶桑と伊勢と日向の4隻で戦隊を組ますのを目標に作ってみたいです(^^)/
戦艦山城は日本初の超弩級戦艦、扶桑型の2番艦として建造されました。しかし、国産戦艦初の3万トン、36センチ砲12門を盛り込んだ設計には無理があり、予定されていた3、4番艦の伊勢、日向は別設計となり後日竣工となりました。ワシントン条約により、本来は八八艦隊完成後は2線級の艦となるはずだった扶桑型も、条約による戦艦保有量により、第一線の艦として運用される事となりました。船体にまんべんなく配置された主砲により、射撃時の爆風、防御力、速力などに問題を抱え、艦隊にいるよりドックにいる方が長いといわれるほど、改装を重ねました。
しかし、改装をしたのが早かった分、他の戦艦が改装に入っている間は艦隊の主力として国防の一翼を担っていました。
開戦時は第一艦隊第二戦隊を伊勢、日向、扶桑とともに編成、来るべく米戦艦部隊との決戦に備えました。しかし、ハワイ作戦による米太平洋艦隊の壊滅、航空機による戦いが主力になり、第一艦隊は出撃の出番がなく、停泊している柱島泊地を揶揄して「柱島艦隊」と呼ばれていました。
ようやく出撃したミッドウェー作戦でも、機動部隊壊滅により作戦中止、会敵せずに帰投しました。
その後は内地にて砲術学校の練習艦として使用されました。扶桑が陸奥の爆沈事故の後、陸奥の代艦として長門とともに南方へ進出するなか、山城は内地で待機しています。唯一、ニューギニア方面へ兵力を増強する輸送作戦として甲支隊T3号輸送部隊に伊勢とともに参加しています。
マリアナ沖海戦敗北後、いよいよ悪化する戦局のなか、とうとう山城にも出撃の機会が来ました。
米軍のフィリピン、レイテへの進攻を迎え撃つ捷一号作戦です。
山城は扶桑とともに第二戦隊を再編成し、西村中将が座上、第二艦隊第三遊撃部隊として、レイテ湾へ突入する栗田艦隊とは別動隊としてスリガオ海峡へ突入しました。
進撃中、心配された空襲は1度のみ、損害も軽微でしたが、空襲により損害を受けた栗田艦隊のレイテ突入は遅れることになり、西村艦隊のみが単独で突入することとなりました。
スリガオ海峡にて待ち伏せしていた敵魚雷艇部隊は難なく撃退し、突入への陣形を変更中に敵駆逐艦部隊の雷撃を受け、扶桑、駆逐艦満潮、山雲、朝雲が被雷し沈没や落伍し、山城自身も魚雷2本を受けましたが、残る最上、時雨とともに突撃、待ちかまえていた米戦艦部隊との砲撃戦の末、山城も爆沈、壮絶な最期を遂げました。
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