ピットロードの軽巡洋艦 夕張の1944年最終時を製作しました。
2022年11月28日月曜日
ピットロード 軽巡洋艦 夕張 1944年
2022年11月27日日曜日
ピットロード 水雷艇 初雁
ピットロードの水雷艇「初雁」です。
初雁は千鳥型水雷艇として建造されました。
水雷艇は軍縮条約で駆逐艦の保有量が制限されたので、制限外の600t以下の船体に、2000tの特型駆逐艦の半分の武装12.7㎝砲3門と53㎝魚雷4門、速力30ノットと、3分の1の大きさの船には無理な武装を搭載されました。
無理がたたり、竣工後同型艦の友鶴は訓練中に転覆するという大事故を起こしました。
そのため、千鳥型は徹底的に改修し艦橋を低く、武装を旧式の12㎝砲3門に交換、魚雷発射管は2門に減らし、バラストも搭載して速力も28ノットまで減らされました。
平凡な性能のフネになってしまいましたが、日中戦争では対地任務に活躍、太平洋戦争がはじまると速力を活かし船団護衛に活躍しました。
大戦後半には後部12㎝砲を撤去し、爆雷兵装を増強しました。キットではY砲を取り付けず、取り付け位置を削ってK砲を合計8基にする指定ですがモールドが消えてしまうのでY砲のままにしています。2022年11月25日金曜日
フジミ 駆逐艦 時雨 1944年
フジミの駆逐艦 時雨 が完成しました。
時雨は白露型駆逐艦の2番艦として建造され、開戦時は白露と初春型の有明、夕暮と第27駆逐隊を編成し珊瑚海海戦、ミッドウエー海戦、第三次ソロモン海戦、ガダルカナルへの輸送作戦などを戦いました。
1943年もソロモンでべララベラ開戦やブーゲンビル沖海戦に参加、その間僚艦の有明と夕暮を失い、同じく僚艦の欠けた五月雨、春雨とともに白露型4隻で27駆逐隊を編成し1944年の米軍の攻勢を迎え撃ちます。
トラック島への大空襲も生き延び、ビアク島への増援作戦、渾作戦に参加、この時春雨が沈みます。
マリアナ沖海戦では第二航空戦隊の護衛に付き、空母龍鳳を援護しています。この時輸送隊にいた白露は油槽船清洋丸と衝突し沈没しています。
マリアナ諸島失陥後、生き残った五月雨とパラオ諸島への増援作戦に向かいますが、この時五月雨が座礁し、その後米潜に沈められます。
ただ1隻生き残った時雨は、米軍のレイテ島上陸を迎え撃つ捷一号作戦において第一遊撃部隊、第三部隊として西村中将指揮のもと、戦艦山城、扶桑、重巡最上、駆逐艦満潮、朝雲、山雲とともにスリガオ海峡に突入、同時突入の予定だった栗田艦隊の遅れにより西村艦隊単独で戦艦6隻、巡洋艦8隻、駆逐艦26隻、魚雷艇39隻の圧倒的戦力差で時雨を除いて全滅してしまいます。
レイテ沖海戦敗退後は輸送任務の護衛にあたっていましたが、1945年1月24日、船団護衛中に米潜水艦の雷撃により沈没しました。
フジミのキットを製作しました。
特シリーズとしてはややあっさりとした部品構成で細かすぎず、同型艦を揃えるにはちょうど良い感じです。
キットの第一煙突がやや低い感じでしたので、ジャンクにあったピットロードの初春の煙突を拝借しました。
秋月方を除けば駆逐艦としては珍しい、前マストに13号電探を搭載しています。
キットでは見張り所がありませんでしたが、無いと見張りとかどうなの?と思ったので取り付けてみました。おかげで前マストが高いですね・・
後部マストが細いから、前マストに13号電探を付けているのでしょうか?
同じマストのタイプの初春型は後マストについていますがどうなんでしょうね。
時雨の最終時の武装は12.7㎝連装砲2基4門と61㎝魚雷発射管8門、予備魚雷は6本に減っています。(今回は予備魚雷函は8本分にしています。
機銃は25ミリ三連装機銃3基、連装1基、単装15基の計26挺装備しています。
他に13ミリ単装機銃が4基装備されていましたが、こちらは省略しています。
→航空巡洋艦 最上 1944年 フジミとタミヤをミキシングで製作